『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』⑰ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』



峠杣一日・著


息瑤本線(おきたまほんせん)を疾走(しっそう)する大蛇汽車(をろぽっぽ)に豆鼕汽車(でんぽっぽ)、その後ろに続くのは葈耳汽車(をみぽっぽ)である。


「矢っ張りな」


呟(つぶや)くお冥(おみゃう)。


をみぽっぽは、兇興翁(きょうきょうをう)の変化(へんげ)。


乗り込んでゐるのは、死んだ筈(はず)の兇闇(きょうあん)、兇蔵(きょうざう)、兇薬(きょうやく)等(ら)の面々(めんめん)であった。


兇興翁は、迷はし神(まよはしがみ)故(ゆゑ)に不死である。


兇闇達梟鏡族(けうきゃうぞく)は人間の心から生まれたのだが………つまりはそれ故に不死である。


梟鏡といふのは、親殺しの意味である。


親への反発心といふものは、自(はじめ)への反発心に直結(ちょくけつ)してゐる。


当然至極(たうぜんしごく)、命への反発といふことになる。


自(みづか)らの命を否定(ひてい)し乍(なが)ら生きる矛楯(むじゅん)、背反(はいはん)。


迷妄念々(めいまうねんねん)の餌食(ゑじき)となって、自ら進んで破滅(はめつ)、自殺、剰(あまつさ)へ殺人へと狂ひかねない。


息を糺(ただ)して、自(はじめ)の心に甦(よみがへ)らう。


親も私も貴方(あなた)も、心はひとつ(同じ)しかないのである。


ともあれ、迷妄念々といふのは勘違(かんちが)ひに過ぎない。


その核心(かくしん)は、親(先祖、はじめ)への思ひにある。


梟鏡族はそんな迷妄念々の化身(けしん)、お冥はその女王(ぢょわう)なのである。




【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】


〽️

いやさかえ

いのちいやちこ

さいはひよいち

まほらとこいは

みつのたま


南無あれかし大明神

南無あれかし大明神

南無あれかし大明神


つづく。