『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』
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峠杣一日・著
息瑤本線(おきたまほんせん)を疾走(しっそう)する大蛇汽車(をろぽっぽ)に豆鼕汽車(でんぽっぽ)、その後ろに続くのは葈耳汽車(をみぽっぽ)である。
「矢っ張りな」
呟(つぶや)くお冥(おみゃう)。
をみぽっぽは、兇興翁(きょうきょうをう)の変化(へんげ)。
乗り込んでゐるのは、死んだ筈(はず)の兇闇(きょうあん)、兇蔵(きょうざう)、兇薬(きょうやく)等(ら)の面々(めんめん)であった。
兇興翁は、迷はし神(まよはしがみ)故(ゆゑ)に不死である。
兇闇達梟鏡族(けうきゃうぞく)は人間の心から生まれたのだが………つまりはそれ故に不死である。
梟鏡といふのは、親殺しの意味である。
親への反発心といふものは、自(はじめ)への反発心に直結(ちょくけつ)してゐる。
当然至極(たうぜんしごく)、命への反発といふことになる。
自(みづか)らの命を否定(ひてい)し乍(なが)ら生きる矛楯(むじゅん)、背反(はいはん)。
迷妄念々(めいまうねんねん)の餌食(ゑじき)となって、自ら進んで破滅(はめつ)、自殺、剰(あまつさ)へ殺人へと狂ひかねない。
息を糺(ただ)して、自(はじめ)の心に甦(よみがへ)らう。
親も私も貴方(あなた)も、心はひとつ(同じ)しかないのである。
ともあれ、迷妄念々といふのは勘違(かんちが)ひに過ぎない。
その核心(かくしん)は、親(先祖、はじめ)への思ひにある。
梟鏡族はそんな迷妄念々の化身(けしん)、お冥はその女王(ぢょわう)なのである。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
つづく。