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峠杣一日・著
乱反射(らんはんしゃ)眩(まばゆ)い金剛頭(ダイヤモンドヘッド)の蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)が、ここほれ峠(たうげ)を越えてゆく。
古くは東の方角を上(かみ)、西を下(しも)と呼んだ。
日の出に向かひ命の氣吹(いぶき)を感じ取り、神と拝(をが)んだ。
仏といふのも人(肉体)×ム(精神)=生命、私達の命に他ならない。
神拝(しんぱい)も念仏(ねんぶつ)も、その核心は我(が・困った心の癖)を没することに尽きる。
我を没すれば、心本来の働く方向(之)すなはち志(こころざし)(之×心)だけが残る。
人間にはその働きをする精神、ム(私の古字)が宿ってゐる。
千(たくさん)の人(累代ルイダイの先祖)が一人の身(み)に現れて、私達がある。
ムは「こと」(言・事・思)に展開して、人生を彩(いろど)る(作る)。
しかしてその源泉(げんせん)は、命の家郷(かきゃう)である綿々(めんめん)たる一氣(いっき)。
信(まこと)、忠(まごころ)などと呼ばれるものだ。
何にせよ我が出しゃばると、まことが禍(まが)ごとに変化(へんげ)しかねないのである。
やあ、転何の目の前に、あれかし山(やま)
が見えてきたぞ。
【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】
〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
つづく。