『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』③ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき さいはひよいち篇』


峠杣一日・著

乱反射(らんはんしゃ)眩(まばゆ)い金剛頭(ダイヤモンドヘッド)の蓮権現転何(はちすごんげんころびなんぞ)が、ここほれ峠(たうげ)を越えてゆく。

古くは東の方角を上(かみ)、西を下(しも)と呼んだ。

日の出に向かひ命の氣吹(いぶき)を感じ取り、神と拝(をが)んだ。

仏といふのも人(肉体)×ム(精神)=生命、私達の命に他ならない。

神拝(しんぱい)も念仏(ねんぶつ)も、その核心は我(が・困った心の癖)を没することに尽きる。

我を没すれば、心本来の働く方向(之)すなはち志(こころざし)(之×心)だけが残る。

人間にはその働きをする精神、ム(私の古字)が宿ってゐる。

千(たくさん)の人(累代ルイダイの先祖)が一人の身(み)に現れて、私達がある。

ムは「こと」(言・事・思)に展開して、人生を彩(いろど)る(作る)。

しかしてその源泉(げんせん)は、命の家郷(かきゃう)である綿々(めんめん)たる一氣(いっき)。

信(まこと)、忠(まごころ)などと呼ばれるものだ。

何にせよ我が出しゃばると、まことが禍(まが)ごとに変化(へんげ)しかねないのである。

やあ、転何の目の前に、あれかし山(やま)
が見えてきたぞ。


【よいこのみんなの合言葉を唱へよう♪】

〽️
いやさかえ
いのちいやちこ
さいはひよいち
まほらとこいは
みつのたま

南無あれかし大明神
南無あれかし大明神
南無あれかし大明神

つづく。