『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』⑫ | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 御魂ケ島篇』



峠杣一日・著

「息(いき)は自(はじめ)の心、心には自(はじめ)が乗ってゐる、と示されてゐる。

自(はじめ)とは、常の理(とはのことわり・永遠の理)であり、私達の命そのものであり、神や仏と呼んでも構ふまい。

自(はじめ)は、自(おの)づからと自(みづか)らの表裏一体、常の親子(とはのおやこ・永遠の親子)の理(ことわり)を現してゐる。

私達は息をして生きてゐる自(はじめ)の分身、自分自身に他ならない。

息(いき)とは即ち、常の氣吹(とはのいぶき・永遠の息吹)である。

さて、自(はじめ)の心とは無論、さいはひよいち(幸い世一)のうつしよ(現し世)を育む一心(いっしん)である。

此(こ)の一心こそが命の本質であり、人世(人生)そのものでもあるのだ。

此の理(ことわり)、自(はじめ)を信じ育む働きが、人世(人生)の根幹(こんかん)を為(な)す必要不可欠な、本当の自分自身の自信を生み出すのだ。

また、自(はじめ)は私達の命なのだから祖(おや・親)であり其の意(おもひ)でもあるから、自(はじめ)の意(おもひ)を識(し)る働きが本当の意味での自意識である。

そしてまた、自他共に自(はじめ)の一心(いっしん)の分身なのだから本質的には他人といったものは無い。

自他共に自(はじめ)を貴(たふと・尊)ぶ自尊心(じそんしん)を育む事で、和(やは)らぎが生(しゃう)ずるのだ。

(※自(はじめ)は三つ子の魂として現れるので、

「父×母=子」
「特殊×普遍=現実」
「国家×人類=自分自身」
「神武理念×女神信仰=現し世」

の姿となる※)

此の事は物に就(つ)いても同じだから、人も物も大切にしよう。

命の限り自(はじめ)と倶(とも)にあるのが、息なのだ」

と、竈門太子(かまどたいし)が補足して語ってゐる内に、迴門號(くわいもんがう)の一行(いっかう)は息瑤ノ山斎(おきたまのしま)の三つ子の島のひとつ、切火のお晴(きりびのおはる)の住む知夫里島(ちぶりじま)に到着した。

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【よいこのみんなの合言葉】
「いちよあれかし、
さいはひよいち」

つゞく。