『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』② | 『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

『さいはひよいち』日本古来の人生観 常の理三つ子の魂 島根半島は勾玉宝船 山陰(島根鳥取)はたまをろち瑤大蛇 あれかし山の峠杣一日・著

島根県松江市東出雲町、あれかし山の峠杣一日です。
島根半島(島根島)は勾玉宝船、山陰(東方鳥取瑠璃光藥師少彦名神、西方島根極樂阿弥陀大国主神)は瑤大蛇(たまをろち)。常の理(とはのことわり)あれかし大明神鎮まる意宇の古都から常の親子(085)の物語を書いてゐます。


『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』



峠杣一日・著

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは、私達の生命を示してゐた。

私達の生命は、言はゞ宇宙の始めから一度も途切れる事無く灯(とも)り続けてゐる常の命(とはのいのち・永遠の命)であるから、宇宙と私達とは大宇宙と小宇宙と言ふ常の親子(とはのおやこ)である。

宇宙は三つ子の魂の一(いち)なのであるから、私達が三つ子の魂の世一(よいち)の現し世(うつしよ)を育む事は至当(したう)あたぼう、至極(しごく)の極楽(ごくらく)に他ならない。

私達は常の命(とはのいのち)であり、其の氣吹(いぶき)を生きてゐるのだ。

さて、胡蘆駒福兵衛(ころこまのふくべゑ)が操る迴門號(くわいもんがう)が、極楽浄土(ごくらくじゃうど)と現し世(うつしよ)とを結ぶ三つ巴(みつどもゑ)の門を潜ると、眼下(がんか)には青海原(あをうなばら)とも見紛(みまが)ふ滔々(たうゝゝ)と流れ行く大河(たいが)があった。

福兵衛(ふくべゑ)によれば、此れこそが彼(か)の名立(なだ)たる三途の川(さんづのかは)であり、私達が現し世(うつしよ)の夜空に見る天の川(あまのがは)と同じものなのだと言ふ。

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つゞく。