『なんぞころびやおき 大極楽本尊郷篇』
②
峠杣一日・著
阿弥陀如来(あみだにょらい)とは、私達の生命を示してゐた。
私達の生命は、言はゞ宇宙の始めから一度も途切れる事無く灯(とも)り続けてゐる常の命(とはのいのち・永遠の命)であるから、宇宙と私達とは大宇宙と小宇宙と言ふ常の親子(とはのおやこ)である。
宇宙は三つ子の魂の一(いち)なのであるから、私達が三つ子の魂の世一(よいち)の現し世(うつしよ)を育む事は至当(したう)あたぼう、至極(しごく)の極楽(ごくらく)に他ならない。
私達は常の命(とはのいのち)であり、其の氣吹(いぶき)を生きてゐるのだ。
さて、胡蘆駒福兵衛(ころこまのふくべゑ)が操る迴門號(くわいもんがう)が、極楽浄土(ごくらくじゃうど)と現し世(うつしよ)とを結ぶ三つ巴(みつどもゑ)の門を潜ると、眼下(がんか)には青海原(あをうなばら)とも見紛(みまが)ふ滔々(たうゝゝ)と流れ行く大河(たいが)があった。
福兵衛(ふくべゑ)によれば、此れこそが彼(か)の名立(なだ)たる三途の川(さんづのかは)であり、私達が現し世(うつしよ)の夜空に見る天の川(あまのがは)と同じものなのだと言ふ。
つゞく。