最近の雨や、気圧の変化でか、身体が重いし、頭が痛い今日この頃。(これは一昨日に書き始めていたのですが、なぜか昨日から楽になってきました。)
みなさんはいかがお過ごしですか?
先日、旅の疲れを癒やしに、銭湯に行ってきました。
懐メロが流れる、銭湯。落ち着きます。
そこで、私自身へのフォーカシングのひと場面をこちらに残してみようと思います。
今回は、体、心、深い部分の順番で、自分に問いかけをしてみました。
私「何か伝えたいこと、あるかな?」
体「優しいご飯がほしいな。」
心「今のモヤモヤしたその気持ちはそのまま置いといて、優しい気持ちでいて。」
深い部分「愛されていることを受け入れて。」
でした。
深い部分の私には、さらに質問をしてみました。
私「何で愛されていることを受け入れることにためらいがあるのかなぁ〜?」
深い部分「自分の中に愛があることに気づいてしまうから」
私「それを気づくと何か問題があるの?」
深い部分「家族に迷惑がかかると思っているから。」
私「ほんとにそう?」
深い部分「そうじゃないよ。」
自分に確認して、必要でない観念、
この場合だと『自分の中に愛があると家族に迷惑がかかる。』
というものを手放してみることにしました。
手放した後の感覚にも意識を向けて終了。
読んでみてもらって、思う方は思われるかもしれませんが、
??の内容です。
でも、自分ではなんとなく思い当たる感じがするから不思議です。
あくまで感覚として、そう言っている感じがするという私の感じなので、
耳に分かりやすく音として届くものとも違うので、
その感覚を信じるかどうかです。
信じても信じなくてもいい。
ただ、自分自身の感覚を、自分を信じる練習なんだなぁ〜って、
フォーカシングをしているとそう思うのです。
どっちでもいい。
ただよかったら、信じて、感じた後に、何が残るかを
あなたにも味わっていただけたら、
と思います。
そして、私自身も、そのときの自分に聴きながら、
感じて、味わっていきたいと思います。
ありがとうございます
ここち鳥