ここち鳥がある、富山県富山市には、今の季節にとーーってもキレイな立山連邦が見えます。


雪が積もっている、でも全体にじゃない、この感じが私はとっても好きなのです。


立山連邦が好きなことを話し始めたら止まらなくなるので、この辺にしますが、


たぶん、私はこの景色が見たくて、自分でこの場所を選んで生まれてきたのだなぁという、なんか分からない納得感、自信がすごくあります。(まだ話すの~って言わないで。笑)



そんな富山県の観光名所でもある立山ですが、


なんていいましょうか、


しっかり見えているのは年に3分の1くらいの期間ではなかろうかと。ごく近くにいたら別ですが。

あくまで私の主観ですけど。


こんなに大きく、雄大に見える山々も、雲やなんかでまったく見えない日も多い。



でも、愛されてるんですよね~。私に。いや、けっこうな人達に。


県外からこられた人達や友達に絶対見せれるというものじゃないから、時にやっかいではあるんですけどね。

 



何が言いたいかって、

いつもどーんとしてなくても、

見えてなくても、

雪がなくてさっぱりとした見た目でも、

うっすらと見えてるのか?みたいな時があっても、


そこにある、いてくれているということに価値があるということ。




人間も一緒なんだよな~。


「そこにいるだけで、あなたは価値がある存在です。」


何かしていないととか、結果や行為だけしか見てなかったら、この言葉を言われても、跳ね返してしまう方もいるかもしれませんね。


私も昔はそう思っていました。


できてない私はダメだって。


でも、ほんとは、



いつもちゃんとしていなくていいし、


身を隠しちゃってもいいし、


どーんと大きく自分のこと見せちゃってもいいし、

中途半端な自分を見せてもいい。



私が通っていた小学校の校歌に「大立山を父として」とあったのですが、

父の背中(いや正面姿?)から今も学ばせてもらっています(*^_^*)

そこにいるだけで、守っていてくれている存在なのです。


あぁ、また止まらない。笑



そして自分の中にある性格、本質も、

誰もが、ひとつの顔だけじゃないのでは?


母の顔、女性の顔、子どもとしての顔、仕事をしている時の顔、趣味を楽しむ顔、

そのほかにもいーっぱい。


その顔だって、凛としていることもあれば、不安でいっぱいの顔になったり、ぬぼ~ってしていたり。


だから、そのときそのときで、自分を見る人の印象も違う。


でもいいんだ~。


ぜーんぶわたし。


ぜーんぶが、ありのままのわたし。



いいんだ~。


いつも完璧じゃなくていいんだ。


そもそも完璧なんて、あるようでないのだから。



自分がその時感じるままに。





そして、今日は外に出てないから分からないけどたぶん見えていないのでは。。 



でも、こんな日も。
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桜の花が待ち遠しい♪  この写真に写っている枝話を桜の木の枝♡ 楽しみにしてるよ~(^ ^)


でも、いつもこの姿だったら、飽きてしまうのかもしれないなぁ~。


いろんな姿があるからこそ、魅力的なのかもしれない。