こんばんは
今日はたぶんハンドメイドほとんど関係ない
超個人的ブログです、coco*chiの郡山です
アウトプットについて思うこと
今、パウル・クレーの日記を図書館で借りて、読んでいます
ご存知でしょうか、パウル・クレー
スイス生まれの画家です
日記、、、
日記なんてすごく個人的なものなのに
その表現の美しさにびっくりしながら読んでいます
誰かに読まれることを
まるで知っていたみたいに
そして先日
くるりの特番を見ていて
佐藤くんの言葉選びに感動していました
音楽についての言語表現が絶妙で
比喩がしっくりきてすとんと落ちる
くるりの音楽性は
佐藤くんがいてこそなんだろうと思いました
画家や音楽家
ミュージシャン
いわゆるアウトプットを生業としてる人って
ほとんど全てのアウトプットに精通している
特に
発する言葉に関して
わたしは言葉という表現を
できるだけ大切にしてます
というか
言葉にエクスタシーすら感じることができます
(変態か)
今のところ言葉は
自分を表現するための
重要なアウトプット
絵を描いていた時は
描くことが主なアウトプットでした
とはいえ
ずっと言葉にも執着していたような気がします、、、
日記も書いていたし
(結婚した時に捨てたけど)
今でもこうしてブログも書いてる
ハンドメイドに関係ないことも
アウトプットを癖にしている人は
死ぬまでそうなんだろうなと思います
、、わたしもね
気持ちは言葉で伝える
例えその言葉に嘘が孕んでいるとしても
その嘘すらもその人の一部
そして、この曲
現在、ダウンロードランキングでも急上昇中
この曲が急上昇中しちゃう日本の音楽シーン
まだまだ捨てたもんじゃないなって思ってました
(何様(笑)
何がって全部が最高ですが
歌詞が本当に素敵です
林檎嬢の、宮本さんに対する
宮本さんの音楽への才能に対する
敬愛を感じました
ひしひしと
文字から
誰にも聞かれてないけど
わたしが一番好きなところはここです
「幸か不幸かさえも、勝敗でさえも、
当人にのみ、意味がある」
人生って
結局その人自身にしか背負えない
あとは
周りの人間の勝手な解釈があるだけ
選択に責任をとるのも
判断にジャッジを下すのも
結局のところ本人にしかできない
それって
「孤独とは、言いかえりゃ、自由」
という歌詞に繋がっていく
孤独が自由
宮本さんに
もしくは宮本さんの仕事に
ぴったりだと思うのはわたしだけかな
「悲しみが、覆い被さろうとも
抱き抱えて、生きるまでさ」
自分の人生に
自分で責任をとる
投げ出すような
無責任なことはしない
その覚悟を歌った歌なのだと思いました
まあ、、でもね
まだ半人前の人間だもの
辛いときには誰かに寄り添ってもらいたいと思うし
大切な人の痛みは半分こして背負いたいとも思う
そういう時に
ただ側にいるということができればいいけど
それができない場合もある
そんな時は
正しいアウトプットが
人の支えになるはずだと信じている
わたしが
辛いときにもらった言葉に救われたということが
未来のわたしを救うこともある
あの時、あの人と、本気でアウトプットのやりとりをしたこと
思い出すだけで身が引き締まって
これからもちゃんと
その時の自分や相手に恥じることのないように
本気で生きていこうって
思うことってないですか?
わたしはあります
いつもです
いつもいつも
過去に出会った
大好きな人たちにもらった言葉や時間で
支えられている
いつかは
樹木希林さんのように
もっと肩の力を抜いて
「面白がって、平気に」
生きていけたらいいなって思うのですが
それにはまだ
わたしは子供すぎるな、と思います
でもあと何年か
そんな本気なやりとりを繰り返していきながら
面白がって物事を捉えられるようになれればいいなあ、、、
50代になれば、60代になれば
もっともっと分かることがあるかな
お腹に辛いことを重ねても
それを笑って化石にしてしまいながら
誰か大切な人にために明るく過ごすことができる
そんなおばあちゃんになりたいものです
、、、無駄に長くなったな、、、
このブログ(笑)
いつか読み返して、苦笑するんだろうな(笑)