ここしばらくの間、自分との向き合いに集中していました。
前回の投稿に、
ココロが苦しくなって来ているので、そこに取り組んで行こうと
思っている事など書きましたが、
それをやっていたわけですが、
具体的には、仕事関係で関わっている方、そしてクライアントに
自分が苦手で現状お引き受けするのはとても苦しいお仕事、
、時間が足らず、現状自分の能力の限界を超えている感じている
案件について、そのままにお伝えし、時間を猶予をお願いしたり、
お断りをしたりと、
私にとってこれまで一番抵抗がある「課題」に取り組んていたの
ですが、
これまでの自分は
相手の要求に応える「いい人」であらねばならないと、
更には、難しい事にチャレンジして達成する事に喜びを感じてしまう
事で、この二つが組み合わさって、
大変で難しい仕事を引き受けてしまいがちだったと、
そんな自分を今回改めて、客観的に見つめ直す事が出来ました。
「いい人」でありたい、「いい人」と思われたいんだ。
「自分の事しか考えてない人」と思われたくない。
今までも、そんな自分の気持ちについてあれこれ分析して来たのですが、
子供ころ、母親から「わがまま」「不真面目」と怒られていたのですが、
大人になって気付くと、
意識はいつも、相手の要求は何かを察知する事に向いていて、
「真面目ですね」と言われるようになり、
それは後から身に付けた、周りに対してのキャラクターなのだなと解釈する
ようになって行き、
そんな自分は苦しいなと、
この自分を手放して行きたいと思っていたわけですが、
きっかけがなければ、
中々自ら取り組む事は出来なかったと思います。
ちょっと前までは、私は苦しくなりようがない人との関わり方、
仕事の仕方で、完全に自分のペースで動けるようにコントロールして
いたのですが、
半年前から、コントロールが効かない状況に身を置くようになり、
そして数週間前から、かなり苦しくなって、
そしてカラダも色々症状が出て来たので、
そこに対して取り組み始めたのですが、
もし、私がココロとカラダについて探求して来ず、
この状況になっていたら、お相手に自分の苦しさや限界、
出来ないと伝えることを、
もっともっと辛く感じていたと思いますし、
それはお相手から「お前には失望した」「無能だな」や、
「助けてくれる優しい思いやりのあるいい人だと思っていたのに、
なんてひどい人!」などと思われてしまう。
そんな風に思われるのは耐えらない。
という苦しみだったと思います。
ですが、今回、
このような苦しい思考はわいて来て来ましたが、
私には、自分がこれからココロとカラダが元気になっていく為でも
ある、未来のゴールがあったので、
この苦しい葛藤に、何とか飲みこまれないで、
お相手に自分の限界を伝えるという「課題」に逃げずに取り掛かれたと
感じています。
それを終えてのココロとカラダの変化など
次に続きます。