リハビリの日。精神的にも追い詰められ笑顔が出ない日が続く。息子はやっと
水のような重湯と具の入らぬ味噌汁になったが、それも1日だけで、また水のみの生活に戻った。合併症が治るのを祈るのみ。友人から頂いた採れたての人参、水菜、チンゲン菜を付け合わせに。ネギはお味噌汁に入れた。美味!
 採れたての野菜や旨し秋暮るる
連載小説「医と筆と」13
 枝折り戸の垣根には卯の花が満開となり、夏が巡ってこようとしていた。診療部屋の窓辺におうめが風鈴をかけたのでときおり爽やかな風に涼やかな音を立てる。裏の路地で子どもらの遊ぶ声が開け放した窓から診察部屋の中までも聴こえてくる。

 かごめかごめ かごんなか
 いついつでやる よあけのばんじょ つるとかめがすべった
 うしろのしょうめんだあれ

「かめ」
「おおあたり」
 子どもらがわっと囃し立てると、当てられて、ちょっと膨れたあどけない亀吉の顔がまざまざと見えてくるようで思わず頬が緩む。亀吉は近所の子らに比べると成長も遅く、産まれたときに傷めた右腕は動かないままで袖に隠れている。四歳になっても未だうまく喋ることもできず、右腕は使うこともないため細く短く成長が止ったかのようだ。だが、亀吉はいつもにこにことして、まるで地蔵様の生まれ変わりのようだと誰彼に好かれていた。亀吉の邪心のない澄み切った瞳に見つめられると、誰もが毒気を抜かれたように素直になってしまうのだ。
「かめの前じゃぁ、うっかり喧嘩もできねぇよ。嚊ぁに手をあげようもんならかめに泣かれてしまわぁ」
 由蔵もそう言うが、亀吉はせわしない世の中を、一人、ゆっくりとした刻で育っているようで、その無垢な心で覗き込まれるとどんな辛いことも悲しいことも柔らかな水に洗い流されるような清しい気持ちになれるのだ。
 近所の子らにもかわいがられていた。亀吉は乳が離れてからは診療所で育っており、あまり遠くまでは行けない亀吉のために、子どもたちが寄ってきて、いつしか診療所の裏の空き地が遊び場になっている。亀吉をまるで孫のようにかわいがる姑のさよは六十になる。空き地から塀一つ隔てた裏庭で、亀吉たちの遊ぶ声を聴きながら干した薬草についた埃や土などを丁寧に取り除く仕事を手伝っているのだ。亀吉は一切、母のことを口にしない。吉乃のことは「せんせ」と呼び、さよを「ばぁ」と呼ぶ。見かねたお千代が自分のことを「母ちゃんと呼んでいいんだよ」というと、首を振り「ちいよ」と言うのだった。
「この子はおっ母さんが他(よそ)にいるとわきまえているのかねぇ」
 不憫さに思わず涙ぐむと、地面に踞り小枝を手に何やら描いていた亀吉が見上げて、にっこりと笑う。連られて泣き笑いになってしまう千代だった。