今日は兎も角も「痛い」だけの一日となりました。薬を飲んでひたすら眠ってしまいましたが、悲観的な気分です。まぁ、こんな日もあるのでしょうか..。

半かけの月青空にぼんやりと
◉連載小説「医と筆と」12
十四年続いた寛政の時代から年は享和へと移り、巷は相変わらずの目まぐるしさだ。天明の飢饉から尾を引いて、百姓たちは次々に田畑を棄て、出稼ぎで溢れた江戸は人で膨らむばかりであったが、吉原は宵越しの銭を持たぬ江戸の男たちで相も変わらずの大盛況であった。吉原にも上がれぬ女たちは岡場所や飯盛り女、夜鷹となり体を売っての商売をする。病に侵されてもひたすら隠して身を鬻(ひさ)ぐので医者に掛かるときは既に手遅れとなるのだ。行き倒れた女どもが担ぎ込まれることもしばしばであり、担ぎ込まれては診療所でなんとか命を繋ぐと、湊や吉乃に手を合わせ拝みながら帰っていく。貧しいその日暮らしの町人からは、ほとんどが、ある時払いの催促なしである。貧富に関わらず全力を持って尽くすことこそが医師たる者の使命であると、これは順庵の教えでもあり、従って里見診療所の内情は火の車であった。
湊はその穴埋めもあり早朝に回診を済ませた後、ほぼ毎日、宗也を同道させて往診に出向く。隅田川を南に十丁ほども下った吾妻橋を西に入った浅草広小路界隈の裕福な商家や、はたまた、更に西、筑後柳川藩立花家横の組小路辺りまでも足を伸ばす。その間、吉乃が通い療治に来る病人を一手に診ていた。女盛りの吉乃に脈診されたり、特に視診されることは、男どもは一様に気恥ずかしさがあるようだが吉乃は容赦なく、てきぱきと病人をさばいた。患者の肌に顔を近づけ汗の臭いを嗅ぎ、厠に竹筒を持たせて尿を採らせてはその色から病気を見分けたり、吐物や便などを持ってこさせて色を確かめたりもする。
日々、湊の傍で診察の一部始終を見ており、湊も患者の診察には、どう思うか、と、吉乃の意見を質すことで、吉乃は「風気ですね」とか「食滞では」などと湊に確かめ、自ずから下される診断や、処方においても的確に分かるようになっており、丁寧な診察に吉乃の評判はよかった。今はおうめがめきめきと力を付けて立派に助手を勤め診療を助けている。