美容室まで往復4.041歩。痛みはどうしても取れぬ。まるで我慢比べのように
しながら歩いた。結構、気に入っていた洋服が見当たらない。おそらく、断捨離
してしまったのかも〜。記憶がないが、とすればあれは好きだったのに...。

木の実落つ舗道の軋みおそらくは
◉連載小説「医と筆と」10
湊が帰ってきて再び、週に一度の吉原への往診が始まった。吉原へは花魁たちの昼見世が始まる九つ(正午)辺りには往診を終えなければならない。湊が診察をしている間、吉乃は出来る限りの女子たちの書の代筆をし、また、少しでも読み書きができるよう教えてもいる。ときには女子どもの身の上相談を受けたりと忙しかった。
湊は師と仰いだ蘭方医、吉雄耕牛から水銀を瘡毒(そうどく)の治療に用いることを学び、それは吉原の花魁たちの病を治す、まさに特効薬でもありながら、その一方で水銀の副作用で苦しむ花魁の姿に心を傷めてもいたのだった。
順庵は水銀治療の解毒に有効だと言われる赤松黒松に寄生するマツホドを求めて遠く信濃にその穴場を見つけ採集に行っていたが、今はその元気もない。
「暇をみて与吉に採集の仕方を教えておくべきであった」
そんな悔いの言葉は思わぬ展開となった。宗也である。
「大先生、マツホドならばよく存じております」
思わず身を乗り出す。いっせいに注目されて宗也は艶やかな浅黒い顔に満面の笑みを浮かべた。瞳は一点の翳りも無く眩しいほどである。
「何しろ家(うち)は貧乏で、婆様(ばばさま)の薬もろくに買えぬ有様でしたので、父がどこで聞いたかマツホドのことを知ったようです。採ってきたマツホドを一週間近くも水に漬け、あとは輪切りにして干したものを母が煎じて婆様に飲ませておりました。なんでも痛みによく効くと父に教えられておりましたが」
「なんと、宗也、それは茯苓(ぶくりょう)という高価な薬ですぞ、そなたはマツホドを採集できるのですか」
思わぬことで役立ったと知り宗也はまるで手柄を立てたように頬を紅潮させてはきはきと答えた。
「はい、始めは父が非番のたびに丸一日弁当持参で探し歩き、その末にみつけたのです。私も父に付いてよく採りに参りました。赤松林の根元に生えるサルノコシカケを目安に古い切り株を探しては根元に固い棒を突き刺して行くのです。白い茸が付けばそれが目安です。探し当てたときの嬉しさと、海風に吹かれ父と並んで食べるにぎり飯の旨さは今もしっかりと覚えております」
順庵は本道(内科)医であり、また、生薬にかけては生涯の研究として精進した医者でもある。富山や伊勢、金沢辺りの薬売りからも薬草を調達する傍ら、自らも熱心に薬草栽培を手がけてはいたが、足を傷めてからは遠出の採集が叶わずはがゆい思いをしていたのであった。茯苓(ぶくりょう)は薬種問屋で手に入らぬことはないが値が張る。
「マツホドが手に入れば、手元で茯苓を作ることができる、さすれば、中国伝来の山帰来や高麗人参のような高価な物を用いることもなく女子どもの痛みを和らげることもできるぞ」
善は急げということで、与吉が宗也を伴い順庵が書いた地図をもとに信濃までマツホドの採集に出かけたのであった。