相撲 | ryo's happy days

ryo's happy days

思い切り人生を楽しむこと。これが全ての私。

出かけることもなく今日が過ぎる。そういえば何年ぶりかで秋刀魚を食べた。
高値が続き買う気にもならなかった秋刀魚がお手頃になり今日は久々に秋の味覚だ。やっと水のみ飲めるようになった息子には悪い気がしたけれど..。
街角に秋場所垂れ幕はためきて
連載小説「医と筆と」9
 堀端の柳がお天道様に向かって一斉に背伸びをするかのように初々しい芽を付け始め、門構えの椿が春泥に紅を散らす頃、湊が医者見習いの土井宗也(どいそうや)という名前の若者を連れて帰ってきた。
「ただいま戻りました」
 大きな声が響いていちどきに春の息吹が舞い込んできたかのようであった。湊の後ろに米絣に袴姿のひょろりとした若者が立っていた。齢はまだ十八というが、長崎で医者修業を三年の後、今回、湊に付いて世話役をするうち、すっかり懐かれてしまったという話だ。是非とも湊のもとで修業させて欲しいと親からも懇願され、連れてきたという。家は島原藩、八十石縁(ふち)とはいえ、財政困難な藩に二十石も貸している下級武士の次男で、武士を捨て医者の道を目指していた。今年で三十七となる湊だが本道(内科)外科ともにめきめきと腕を上げ、名医と言われても今なお勉学に励む姿に、宗也は心から湊を師と仰いでおり、その父である順庵の前では緊張のあまり頬を紅潮させて言葉も出ない様子である。その初々しさが、また一層、湊に帰宅の輝きを増した。

 行燈の灯が障子に影を映して久々に寛いだ二人であった。
「で、そのそよという女子は未だ何一つ手がかりもないのだね」
「はい、町方もまだ諦めず探してくれているようですが、まるで消息がわかりません。手には力仕事のためかと思われる胼胝(たこ)ができており、身なりも祖末な物を着ておりました。たまたま入院していた患者の着物を盗み、診療部屋の抽き出しから二十文足らずのお金を持ち出しまして」
「まぁ、どこかで生きているのだろうが、赤児が恋しくていつか戻ってくることもあろう、で、亀吉と名付けた子はどうなのだ」
「はい、産まれて二週間になりますが、今はきよみ長屋の由蔵さんのおかみさんのお千代さんに貰い乳を」
「それはよかった」
「母上様がまるで孫ができたように毎日きよみ長屋に通っておられて、私も暇があれば亀吉の顔を見に出かけておりますが、ただ心配なことが」
 湊は吉乃が妻としてより、医者としての心配を持つことが分った。
「心配とはなんですか」
「はい、亀吉の右腕のことです。未だに動かぬままなのです。始めは肩が外れたと思いましたが、そうではなく出産のとき長く肩が出ず、恐らくは神経が切れてしまったのかと思われるのです。それにお千代さんが言われるに、乳の吸い方も鶴坊に比べると格段に弱いということで、脳に麻痺があるのではと心配でなりません」
「そうですか、臍の緒が長く首に巻きついておれば酸素が脳に行き渡らず脳症を引き起こす場合があるが、早速明日にでも診てみましょう。しかし、私が不在の折り、よくぞ頑張ってくれました。母子共に無事であったと、まずは喜びと安堵が先にたちます」
「ですが、思えば腕はもとより脳までも麻痺が生じているとすれば、私の落ち度ではなかったかと悔やむこともしばしばで」
「いや、そうではないでしょう、吉乃の細くしなやかな指があったればこそ赤児の首に巻き付いた臍の緒を外すことが可能であったと思うし、赤児、いや、亀吉の命があったことを良しとしなければいけません」
 湊は一人で急場をくぐりぬけた吉乃の咄嗟の判断や俊敏な処置に深く感銘を受けていたのだった。療治に来る患者への気配り、適切な処置、もはや女医者として吉乃は湊の嫁としても、また医者としてもこの診療所になくては成らぬ存在となっていた。