返信は不要。と書いて病床の長男のスマホに毎朝夕とラインを送る。無論返信は全くなかったけれど、今日私の励ましや次男のメールに対して、
ふた文字「うん。」と返信が来た。それだけで涙が出た。
今日はリハビリの日、自転車漕ぎは「遅すぎる」の表示。10分は焦げず8分
でgive up。それでもしないよりはまし。午後は友人に招かれてお菓子を食べて
久しぶりの会話で心が和みました。頂いた新米も嬉しい。

晩秋や返信不要のメール打つ
◉連載小説「医と筆と」6
今日一日の診療日誌をつけながら聞くともなしに姑の声を聞いていた。夫の湊からは文にて長崎での医学についての見聞を活き活きと書き連ねてきたが、それにはあと数日をもって帰路に着くとの報せもあり、となればもう近くまで帰ってきているであろうと思われる。今年の冬は比較的暖かで流行り風邪が蔓延することもなく、今日の療治は梯子を踏み外した大工の出職をしている辰三さんの捻挫と、腹を下した団子屋の八つになる豊吉、あとは船宿の作三が母親の喘息の薬を取りにきたぐらいで、順庵が迎え駕篭に乗り与吉に薬籠を持たせ往診に出向いた午後は比較的ゆっくりとしていた。団子屋のお紺ちゃんから頼まれた里に出す文の代書を終えてから、姑の好物、浅蜊と菜の花の味噌和えを作り、後は一心に薬研(やげん)を使って生薬を摺っているうちにはや夕刻となり、そよが乳を飲ませているのであろう、おぼつかぬ手つきを手助けしている、おうめの声が聞こえてきた。
夫の帰りが待たれた。吉原からたびたび吉乃に来て欲しいとの使いがきている。十五の頃より代筆を生業とし、嫁いだ後も吉原には湊の助手として同道し、文字を書けぬ女子たちの代り筆をしているのだが、今は、湊の不在もあり、ここ暫くは家に持ち込まれる代書は別として吉原へ出向くことは遠ざかっていた。
「吉乃先生の文字でなければ嫌でござんす。代り筆は吉乃先生のほかどなたもござりいせん」
吉乃の柳がそよぐが如くの流麗な女文字に是非もと代筆を頼む花魁が何人もいるのだった。与吉が花魁のそんな言伝(ことづて)を持ってきても今は診療所から離れることはできない。
吉乃は暇を見ては吉原の女子たちに文字を教えてもいたが、医者として修練を積む傍ら、代わり筆を止めようとは全く思わなかった。吉乃の女文字は亡き母が教えてくれたものである。重ねた母の手の温もりを、未だ忘れることはない。文字を書けぬ人たちの代書をすることが優しかった母への供養とも思えるのであった。