この数日間の疲れがどっと出て何も手つかずにいたけれど、なんとか心の
整理をつけた。息子はこれからの合併症もあろうけれどきっと乗り越えて
くれるだろう。折から今日は日曜日。明日からは平常に戻ろう。

秋澄みて気晴らしの街そぞろ行く
◉連載小説「医と筆と」5
赤児は男であった。産まれてくるときに肩の神経を傷つけたものか右腕は麻痺が生じているとみえて動かす様子がない。それでも半日も経てば腹を空かしておるのだろう、まだ見えぬ目を開き口元を動かしては乳を吸う仕草をする。やがてそよの乳房に吸い付いて貪るように乳を飲み始めた。
「そよさんはどこから来なすったのですか。この子の父親はどこにいるのです」と訊いても口を貝のように閉じ、横を向いて話す様子もない。痩せた体にもてあますほど乳房は大きく張り、赤児の口元からは溢れ出た濃い青みを帯びた初乳がほとばしるようにこぼれ出ている。
着ていた着物は擦り切れあちこちに継ぎはぎがある木綿で、掌には力仕事のせいか固い胼胝(たこ)ができており、農家の女かとも思われたが肝心の本人が打ち明ける気持ちがないのだ。
「何か余程の事情があるのでしょう。そっとしといてやりなさい。そのうち自分から話しだすことでしょう」
「ですが、あなた、あのそよさんという女子は少しも自分の子が愛しいとは思うてないようですよ。乳が張れば飲ませてはやるようですが赤児を見ようともしません。まるで心がどこかに飛んでいるようで、なんぞ人に言えない余程のことがあったのでしょうか。私が赤児の名前を、と申してもただ途方に暮れたような顔をして」
順庵の妻、吉乃の姑のさよがそよの産んだ赤児を腕の中で揺らしながら話しているのだろう、行燈の日を跨ぐように、とぎれとぎれに話し声が聞こえてきた。
お義母上は未だ産まれぬ孫が欲しくてならないのだ。湊のもとに嫁いで六年余り、助手を勤める傍ら医学書を読みあさり、今では、助手はもとより医師としても力を付けてきた吉乃だが、子宝に恵まれぬことがただ一つの悩みでもあった。嫁いできたころは「早う、私も孫が抱きたいものです」などと心待ちにしていた姑のさよの口から、その言葉が出ぬようになり久しい。恐らくは順庵が口止めしたのであろう。
吉乃はその気持ちは痛いほどに分りながらも、心の中では子に恵まれぬことで湊の助手として、医学の道に邁進することができているとも思えば、これが天の采配かとも思えるのである。診療所の書棚には順庵が何十年もの歳月をかけて書き写した医学書で、まだ読み切れていない書物が積まれており、また、湊が長崎より持ち帰った蘭方の書物や湊が勉学に励んだ帳面なども暇を惜しむように読み漁れば、抱えきれないほどの医学への探究心が吉乃を支配してしまうのだ。だが、吉乃とて我が子をこの胸に抱きたいと思う気持ちは理性では抑えきれぬことでもある。子どもは天からの授かり物と割り切ってはいるものの、姑の気持ちを思えば切なく、いたたまれぬ気持ちに支配されることもしばしばだった。