ボイストレーニングは音楽が好きなこともあるが、肺活量などの減退なども
考えて続けていた。でも先生があまりにもおそまつなので、今日を以って
退会しよう。コーラスから派生したボイトレだが、マンネリ。ピアノが下手な先生だがそれをカバーしようとする努力がない。
友人たちの付き合いもあり続けていたがもう我慢ならぬ。

秋服の上に着込んだ今日の朝
◉連載小説「医と筆と」代わり筆続編2
「子どもはあっちに行ってな、見るもんじゃねぇ」
大人どもが慌てて子どもらの目を隠すようにしながら遠ざけた。
近くに住む取り上げ婆が駆けつけたものの、股間を覗いた途端「こりゃ、おおごとじゃ」と言っただけでなす術もなかったのだ。
「とにかく診療所に運びなさい」
「ですが和尚、若先生は今、長旅に出ておられますぜ、大先生は日がな一日、川向こうの鳥越の薬草園で過ごしておられるようで」
「吉乃さんがおるじゃないか」
住職の一言で、凍り付いた空気が俄かに慌ただしくなった。外した物置の戸板に乗せて、女は運び込まれたのだった。
吉乃が里見診療所の嫡男、湊のもとに輿入れしたのは寛政七年、二十一の齢である。あれから早くも六年の歳月が流れ、今は湊が、父、順庵に代り診療所を背負っているが三月(みつき)も前、正月の松が取れた頃、長崎へと旅だっていた。一番の目的は湊が長崎で蘭学を学んだ恩師 吉雄耕牛先生の逝去による墓参であるが、長崎までは約一月(ひとつき)、往復では二か月もの長旅となる。墓参の傍ら、日々の目覚ましい進歩を遂げる医学を学ぶためでもあった。吉雄流外科の開祖である先生の薫陶を受けた弟子たちによる外科公開手術が施行されるとの友人の文である。湊三十七歳、まさに医者としてその技を極め、十と齢の離れた妻、吉乃ともどもに充実した日々を過ごしていたときであった。
「私が健在なうちに学べることは学ぶがよい」
父、順庵の強い勧めもあった。幸い、このところ順庵の足の具合もよく、往診も駕篭を使えば滞ることもない安泰な日々が続いている。湊不在の三月あまりは順庵と、今はめきめきと腕を上げた吉乃、そしておうめ、与吉、お種で留守を補うことになっていた。