極端の気温が下がると聞いていたが、気持ちの良い秋晴れの日だ。6月から休んでいたピアノのレッスンを今日から再開。生徒さんのお家は3階なのだが、送迎していただくのでなんとか足は大丈夫かな。私自身、右足が不自由でピアノのペダルが踏めず、昨夜、恐る恐るペダルを踏んでみたが痛みが膝まで走らないことが分かった。私もピアノを解禁しよう。

膝に優しウールモンペを求めたり
◉連載小説「代わり筆・上」23
今までは吉原へは与吉が薬籠(やくろう)を持ち湊の助手を勤めて出向いていた。
「私が代書に時間を取れば、助手としてのお勤めが手薄になるのでは」
「こちらは与吉が代って助手を勤めます。要するに与吉と入れ替わってもらうことになるのですよ」
話を聞きながら人の気配を感じて後ろを向くと与吉が控えている。与吉は吉乃より一足早く診療所に入り修業をしてきたが齢は吉乃より二歳年下だ。
「どうも吉原の女どもの治療には与吉はまだ若く苦手のようです」
見ると、与吉がうなだれて頭を掻いており、順庵はそんな与吉を愉快そうに眺めていた。
「代書と言っても、あるときもあればないときもある。湊の診療が忙しいときは助手を勤めてもらわねばなりません。また、文を書いてやることも、それはそれで心の病にも役立つ仕事、よろしく頼みますよ」
吉乃は順庵の目をしっかりと見据えて深く頷いた。人の役にたてることへの嬉しさと誇らしさで吉乃の双瞼は昂揚し濡れたように光ってみえた。
吉原は山谷の堀端沿い、俗に土手八丁と呼ばれる道を北に歩けばほどなく見える見返り柳を西に見て衣装坂から仲の町に入る。若い二人の足では小半刻もあれば充分である。出入り口はこの黒塗りの大門だけで、左手には町奉行所の面番所があり、右手には吉原の監視所があって厳しい見張りのもとに勝手な出入りはできぬことになっている。だが、湊は門番とはもはや顔馴染みだ。湊を見ると手揉みしながら「いつもお世話さまで」とあいそうよい。大門から伸びる通りは夜ともなればきらびやかな光に包まれ遊女たちの嬌声に男たちが浮き足だつようだと聞いているが、今はまだ眠りから覚めきれずにいるようで静かなものだった。
ここまでの道筋で湊は、右手に持つ薬籠を左に持ち帰ると、一歩下がって塀沿いを歩く吉乃に歩調を合わせながら遊女たちの話をした。
「吉原の女たちはまだ年端も行かぬ頃に農村や漁村などや、はたまた下級武士など、貧しい家の暮らしを助けるために売られてきたもの、なかには拐かされて売られてきた女子もいると聞いています。里の父母や兄弟を、また、十年という年明(ねんあ)けを待って一緒になると将来を言い交わしたものもおり、再び会える日を恋しく待ちこがれているのです。文を書きたくとも文字も知らぬ者たちばかりです。吉乃さんが来るのをさぞや楽しみに待っていることでしょう」
郭(くるわ)を左右に二分して延びる通りの一画、引手茶屋が軒を並べる横町を入ったところに妓楼(ぎろう)篠屋(しのや)がある。まだ人気のない張見世格子が続く入り口を入ると、中は異なる格子が組まれており階段を上がったすぐの部屋から男が二人を見つけ、これもあいそうよく挨拶をしてきた。
「これは先生、いつもご苦労さまでございます。で、こちらのたいそう美しいお方は」
吉乃の方を見やる。
「うちで助手を勤める吉乃と申すものです」
「あれ、いつもは男の助手さんを連れて見えられてましたが」
「はい、元締めさんからのお頼みで女子たちの文の代書のできるものをと言われまして、これからは私の助手でもありますが、代書の仕事のできるものをつれて参ることになりました」
吉乃は腰を折りあいさつをする。
「これはこれはお手間を取らせやす」
湊が小声で言った。
「今のは遣り手という役目の人で一言で申せば見張りです」
ここは外界とは違う隔離された一画なのだ、吉乃は大きく頷いた。