今日は早朝よりお出かけ。向かう場所は病院だ。8時前にはタクシーに
乗らねばならない。慌ただしい日。でもピリリと澄んだ空気の秋の朝。
こんな日はゆっくりと珈琲でも飲みたいのにそうも行かない。

あわただし立ち飲みの珈琲秋の朝
◉連載小説「代わり筆・上」19
さよに案内されて初めて順庵先生の母屋にまで入ったときは身が引き締まる思いがした。吉乃が入ったことがあるのは診療室と待合所だけだ。案内されるままにぐるりと左から小路を通って奥へ入ると枝折り戸(しおりど)があった。その先へと進むと、深く作った軒には様々な薬草が吊るされて日陰干しされており、下に置かれた竹笊には見たこともない木の実や、また別の笊には乾き切らずまだ緑が残る葉があった。怪我人を治療するときに使う、巻き木綿や晒などが一面に干されて春の風に揺れている。広い縁側では白い上衣を身にまとった男が乳鉢を膝に置いて真剣に薬草をすり潰していた。
吉乃の目先を見てさよが言う。
「あの葉は亡くなられた父上様も使われた琵琶の葉、あのように黒く枯れるまで長い時間を掛けて干さねばなりません」
頷く吉乃を見て、さよは指を挿して話を続ける。
「薬草は生薬ともいうのですよ。あのように干して使うもの。または細かく刻んで煮立てるもの、様々な方法があります。あそこにいる与吉は乳鉢で薬草をすり潰しているのです」
与吉と呼ばれた男が吉乃を見て笑いかけて頭を下げたので吉乃も腰を下げた。
「あのように粉にした幾種類もの生薬に蜂蜜を混ぜ練り上げて丸薬を作るのです」
「丸薬は父も頂いておりましたが」
「そうでしたね。丸薬は一度に色んな薬を呑むには格好の手段なのですよ。ここにはさまざまな薬草があります。アオギ、オオバコ、アキカラマツ、クマザサ、アケビ、ギシギシ、ゲンノショウコ、ドクダミ、トウキ、ヨモギ」
いちいち指し示すさよに吉乃は正直に話す。
「ここにある薬草の中で私が存じ上げているものはドクダミ、ヨモギぐらいでしょうか」
「そうでしょうとも、でもおいおいと覚えてくれなければなりません。色々な薬草の効き目も知っておくことが肝要なのです。たとえば腹痛、血の道、止血、毒消し、解熱、なかには毒の物もあります」
「えっ、毒の物も」
「そうなのです、毒のものは痛みを止める効き目もあるのです。お父上に処方していた丸薬の中にもそういうものが混じっていたのですよ。でも一歩、処方を間違えば死に至ることもあるのです。まぁ、これも、おいおいと」
吉乃にとってまるで未知の世界に入り込んだ思いであった。