墓まいり | ryo's happy days

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思い切り人生を楽しむこと。これが全ての私。

息子の助けを借りて墓まいりを済ませました。私は車の中にて、息子の墓掃除
を見ていました。全て終了してからお参りだけをしました。
二人でモーニングを食べながらいろんなことを話しました。息子の優しさが身にしみました。
 墓洗う息子を見つつ手を合わす
連載小説「代わり筆・上」11
 天明から寛政へと時代は移り、季節が巡って十六歳となる頃、吉乃はこの界隈で知らぬ者はないほど、聡明で人目を引くほどの美しい娘に成長した。論語は十歳の頃より諳(そら)んじてしまい、読み書きはもはや淳之介が教えることはないほどにまでになると、父と共に寺子屋で子どもらに書を教える手助けをし、家の切り盛りもやる。母の史はしっかり者ながら控えめで陰で夫を支えることがわが身の幸せと思うような人であったし、父、淳之介は武士の出を嵩にきることもない。慎ましいそんな両親のもとで育った吉乃は誰からもかわいがられた。きりりと結んだ唇は口をひらけば優しさが溢れ、眦(まなじり)は愛らしくまだ幼さが残っている。いつもさりげない気配りは、まさに父母より培われた心根によるものでもあった。そんな吉乃の噂を聞きつけわざわざ遠方から見に来る男までもいた。

 たまの休み、父娘は連れ立ち堀端の茶店などに行き麦湯や団子を食べた。川風が堀端の柳を揺らして、舫い綱を解かれた屋根舟に今しも船頭が石段を蹴って乗り込むのが見える。流れに沿うように猪牙(ちょき)舟が川面を緩やかに滑る、そんなさまを見ながらのんびりと日を過ごすことが親子の唯一の贅沢でもあった。
 愛らしい着物の町娘が丁稚や小女を従え歩く姿など見かけると、淳之介は心が痛む。
「そなたには古着屋で求めた木綿の着物ばかりじゃな。一度はあのような絹の着物を着せてやりたいものよ」
 淳之介の沈みがちな声は、からりとした吉乃の声に消されてしまう。
「何と申されます、お父上、木綿と申しましても、この着物は私の勝負着物にございますよ」
「何と」
「そうではございませんか、この着物にはお父上が指南される子どもたちの匂いまでが染み付いて、目をつぶれば子どもたちの顔が一人一人うかんでまいります。それに毎夜、母上様のお教え通りに、湯を沸かして丁寧に拭いているのです。私にとっては絹にも劣らぬ着物でございます」
 そんな吉乃の横顔は凛としていかにも清く育った品があった。
「吉乃ちゃんはさ、まさに、はきだめに鶴ってなもんですよ、何てったって、きよみ長屋の自慢の娘だからね。このまえも私がきよみ長屋の大家だと知って、あの、吉乃ちゃんがいる? と羨ましそうに訊かれてねぇ、吉乃ちゃんの噂は遠くまで聴こえてますよ」