心配していた台風はさほどでもなく、垂れ込めた雲が蒸し暑さを下界に押し込んでいるようです。今日までは台風の影響で外出不可でしょう。私といえば一度起きて朝食を済ませたものの眠さに負けてまたベッドに戻りました。台風一過で青空が見えるのはまだ先のことかも。

台風一過竹風鈴の紐解く
◉連載小説「代わり筆・上」7
のどかな豊丘村に比べ人の多さは目を剥くようである。親たちはこぞって子どもに読み書きを教えてやりたいと思うせいで、寺子屋は大勢の子どもたちで活気があった。しかし身入りは少ない、その日稼ぎの長屋の子どもが多く、月の払いは一応は二百文とは決まっていたが、月々では払えずあるとき払いの催促なしだったから、家の切り盛りをまかされている吉乃にとっては日々がおあしのやりくりで、それが生きた算術の勉強でもあった。それでも払えない子らは川でしじみを穫ったり、野草を摘むなどしてきたが、淳之介はいつも笑顔でそれを受け取った。なかには商家の子もおり、稀に、親が二朱金を菓子に添えて挨拶に来ることもあったが、長屋の子の腕白ぶりについて行けず、大抵は別の手習い所に行ってしまうことが多かった。
本来ならば、武士、商人、または庶民でも豊かな暮らしの子や貧しい子など区別することが当たり前の世の中で、淳之介は一切、分け隔てのない扱いをするので、それもまた、好むもの好まぬものがおり、収入は決まらず生計(たつき)を立てることは楽ではなかった。
「おう、今日もしじみ汁か」
「はい、このところ文吉が売れ残ったしじみを毎日のように持ってまいりますので」
「よいよい、しじみは滋養にもなるし、いくらかでも足しになればのう」
寺子屋の廊下の隅で熱心に勉学に励む文吉が、父なし子でおっ母さんを助け、朝早くからしじみを穫っては売り歩いていることをよく知っていた。