まだ杖ですが、コーラスはタクシーで参加です。そのあとジャズダンスがあり
ますが、これは見学。とにかくシャバの活気に触れないと自滅しそうなので
いってきます。

嬉しさと不安半分九月半ば
◉連続小説「代わり筆・上」3
江戸内とも思えぬ豊丘(とよおか)村は河野という在所の草深い光芒寺(こうぼうじ)という小さな寺であった。庵に棲み着いた淳之介たちの噂はすぐに広まり、読み書きを教えてやってはくれぬか。と、住職の肝いりで始めは近所の四、五人だった子どもたちが、評判を聞いて一里も離れた村からも子どもたちが集まってきたのだ。それでもほぼ十人ほどに読み書きを教えては、百姓の差し出す野菜や米、或は近くを流れる川に竿をたれ、魚を釣ったりしてその日の糧としていたのだが、妻の史はそんな夫を陰で支え、吉乃にも武家の子として恥じぬそれ相応の躾を怠ることはなかった。淳之介にとって史はよくできた妻であった。元来、体の強い方ではなかった史が流行(はやり)風邪をこじらせあっけなくこの世を去ったとき、吉乃は父の涙を初めて見た。草深い破れ寺ではあったが、ここは家族三人、みずいらずの思い出深い地と心に深く刻み、父娘は新天地を求めて浅草山谷堀は山川町の一画、きよみ長屋に居を替えることになったのだ。住職の古くからの知り合いで、何でもその近くに草庵寺(そうあんじ)という小さな寺があり、そこで学問を教えるものを探していると聞いたからだった。きよみ長屋はこれも草庵寺の住職のつてであり、差配をしている矢兵衛さんは確かな人だという話であった。
天明四年、吉乃が十歳の年だった。