朝から雨がしかもかなり強く降っていて、それでも歯医者さんの予約があるので
出かけた。仕方なく往復タクシーを利用したけれど、それでも濡れて寒かった。
帰りのタクシーの運転手さんのハンドルを握る手つきが変..。見ていると確かに
ルンバかチャチャチャのダンスの手つきの練習しながら運転している。しかもかなり上手。見とれているうちに着いた。「運転手さん、ダンスされるんですか?」って訊きたかったけどやめた。

予約日の九月の声に驚きぬ
◉連載小説「みつさんお手をどうぞ」25
みつさんの傍に近寄ってみた。みつさんは薄く唇を開いて浅い眠りの淵を漂っているように見えた。突然、おふくろの死に顔が重なってきた。友達同士で計画した、たった一泊の卒業旅行さえも、貧乏がゆえに諦めてくれと諭され、悲しそうな母の視線が分かっていながら、わざと無視して家を飛び出した日曜日、日が暮れて帰宅したときは母はもう冷たくなっていた。風呂場で俺の汗まみれの学生服の袖を部分洗いしているときに意識が切れたらしい。俺の学生服の袖を掴んだまま風呂場で倒れたおふくろの顔は、みつさんの寝顔のように薄く口を開いており、俺が幾ら叫んでも決して呼び戻すことはできなかった。傍らに洗剤の泡が少し残った薄い乳白色の水が盥の中で揺れていた。俺のために朝から晩まで働き、苦労ばかりで俺が何の親孝行をする間もなく突然死んでしまった母…。それも、ばあちゃんが死んだ翌年のことだった。…私は何の親孝行もできんかった…。と、ばあちゃんに取りすがり、腹の底から振り絞る悲しみの声を上げて身を揉むように泣いていた母のあのときと同じ言葉が、俺の胸には、そっくりそのまま心に深い悲しみとなり沈んでいるのだった。
…俺は何の親孝行もせんかった…。
「ひ、ろ、し、どうしたと?」
密やかな声に、はっと現実に戻った。
「あ、おふくろ、起こしてしもうたね、ゴメン」
「いやぁ、とろとろしとっただけたい」
みつさんはいつになくはっきりとした正気の声で腕を伸ばすと、俺の髪に手を触れて、よしよしというように頭を撫でた。あったかい手だった。張りつめた心の箍が外れたようで、涙がぼろぼろと頬を伝った。
「よかよ。男でん辛いことはあるさね、思い切り泣いたらまた元気が出てくると。人間はそんなもんたい。そんかわり明日は笑いんしゃいよ、浩志には笑い顔がよう似合うたいね」
そっと髪にかかるみつさんの手を取ってふとんに入れた。
「ありがとう、おふくろ、なら、おやすみ」
「あぁ、おやすみ、私も、今からでん、あと、三人は子どもば産むたいね。浩志一人やったら、おまえにばっかり世話にならんば行かんもんなぁ」
思わず、顔を覗き込んだ。みつさんは、もうすやすやと軽い寝息をたてている。Tシャツの袖で涙を拭いながら、つい、笑ってしまった。このことは木元さんに伝えなきゃぁ、息子一人の肩に負担が掛かっていることをみつさんはちゃんと認識しているのだ、と思った。