疲労 | ryo's happy days

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思い切り人生を楽しむこと。これが全ての私。

今日は振り回されてほとほと疲れた。ブログをつける元気が残っていない。
 装いをかなぐり捨てし酷暑かな
連載小説「みつさんお手をどうぞ」20
 木元さんは俺には黙っているが、ときおり、そっとみつさんを訪ねていることを知っている。三時のおやつの時間に、みつさんの大好物の豆大福やきんつばがでることがあったが、あれは木元さんの奥さんが用意したものだったのか。そんなとき、ヘルパーさんはみつさんに向かって噛んで含めるように何度も言い聞かせる。
「みつさん、ほら、今日のおやつは特別よ。息子さんが差し入れしてくれたとよ。よかったねぇ」
 みつさんには見舞客から勝手におやつは与えられないことになっている。すぐお腹を壊すからだ。介護側にとって、おしめをしているみつさんがお腹を壊すことは致命的なことなのだ。だから、木元さんが運ぶおやつは、一応、看護師に渡され、管理栄養士のもとで、きちんとカロリー計算されて、おやつのときに特別にでてくるようだった。
 看護師さんがある日ぽつりと漏らした言葉に俺はたまらない気持ちになった。
「息子さんさぁ、こんなに母想いなのに、神様も残酷なことされるよね。みつさんは、息子さんのことはすっかり忘れてて、思い出したかと思えば、植木屋さんの権藤さんだもんねぇ。藤堂君、せいぜい代理息子でがんばってね。木元さんのためにも」
 こんなとき、正直、俺は複雑な気持ちに襲われた。みつさんの息子として孝行している俺はいったい何なんだ…。張り裂けそうに胸が疼いた。俺は親不孝の連続で母親に孝行した記憶など、ただの一度としてないというのに。
 
 ずっと、何もない平穏な日々が続いていた。。アパートがある皿山から西の、梅林地区にある病院までは愛用のチャリ「流星号」で二十分ほどの距離だ。整備工場に働きながら、大学に通学するために十二回払いのクレジットで買ったこの少し細めで空色の自転車に、俺は昔のアニメ「スーパージェッター」に登場する「流星号」という名前を付けた。俺が子どもの頃、母親が俺を呼ぶとき、口癖のように言っていた言葉がいつまでも耳の奥にこびりついているからだ。母は遊びに夢中になっている俺に返事をうながすとき、よくこう言った。
「流星号、応答せよ!」
 そして、台所の手を休めないまま大声で話しかけてきたものだ。
「ケン、未来の国からやってきた流星号のスピードはマッハを超えとうとよ! ぼさぼさせんで、宿題は済んだとね!」   
 だから「流星号」という名前はある意味、母親の形見であり、俺はこの名前が気に入っている。その名に恥じぬ快適な乗り心地とスピード感、そして何より俺の大事な足だ。桜通りと俺が勝手に名付けたここら辺りは、のんびりとした家並みが続き、俺は、前夜持ち帰った居酒屋のバイト先で少し多めに貰った賄いの飯に、塩を振りかけ握り飯を作ってリュックに詰めると、爽やかな春風に揺れる桜の下をみつさんのもとに通った。