薔薇を買いました。別に一輪挿しも。従弟が送ってくれた「八海山」の金と銀の瓢箪のお酒。まず銀色をちびちびといただきまして、空いた瓶がかわいくて薔薇を挿してみました。なんだか嬉しいなぁ。小さな幸せです。

まだ金色が残ってる。これは今日いただきます。

再会を夢む夏陽や八海山
◉連載小説「夏の残り17」
今日でセツ子は四十三歳になった。味気ない誕生日だった。寛太は三十一歳、男盛りだ。すっかり諦めた今は、寛太に会ったところでもう涙は出ないと思う。
所詮、寛太も男だったのだ。自分のような年増より若い女が良いに決まっている。例え、何があっても未練などはこれっぽっちも見せてなるものか。
もう一度、家に来て、まだそのままにしてある荷物は無論、冷蔵庫は中身が入ったまま引き取ってもらおう。こんなとき携帯を持たぬ寛太が恨めしい。どこか頑固なところがあって、踏み込んでくる人付き合いを嫌い、何度頼んでも携帯を持たなかった。
思い立った勢いで家を出た。果たして家まで出向き、会えるかどうかは分からない。一つの賭けのようなものだ。だが、盆明けの今日は魚市場は休みだし、寛太が今日は非番だろうということは分かっていた。夢の余韻を引きずって何かコトを起こしたい衝動にかられていた。酔いはすっかり冷めていた。
ビルは乾いたアスファルトの道の半分まで、くっきりと影を落として、日差しはもう秋の気配が感じられた。
博多駅から百円バスに乗り天神で下りると昭和通りを抜けて親富孝通りに出る。昔は深夜までも遊び歩く若者で溢れたことから親不孝通りと呼ばれていたのに、いつのまにやら体裁のよい名に変わっている。時代の流れか、今は若者の溜まり場は西に移動してしまい、ましてや昼下がりともなれば閑散として人の行き交いはない。長浜公園を斜めに横切る。夏の公園は空気も土も白く乾いている。樹々の下には力を使い果たした蝉が、あちこちに転がっており、最後の力を振り絞る油蝉の焦げつくような騒音は噴水の音さえもかき消すほどだ。
田舎で育ったセツ子は、蝉の声は寧ろ気分が落ち着くのだが、今のセツ子には、はやる心を煽る野次馬の声に聞こえてならない。
公園から二つ目の曙レジデンスのある一方通行の路地を曲がろうとして、危機一髪のところではっと電信柱に身を隠した。
突然声がしたのだ。
「早く帰ってね」
「わかってる、なるべく早くに切り上げるよ」