その日のことだ。思いがけない来客があった。近藤との情事にかまけて初盆を忘れていた、というか、まさかおろそかにするつもりはなかった。ただ、あまりにも月日の経過が早く、八月に入っていたことさえ忘れていたのだった。そんなときの不意の客は、恒男が勤めていた会社の同僚の河合だった。
「西田さんとは仲良うさせてもらって、よう、酒もご馳走になりました」
河合さんのことは恒男からもたまに聞いてはいたが、家は久留米の外れとかでかなり遠くでもあり、葬式のときに挨拶はしたがこうしてじっくり話すのは初めてのことだった。
「自分も定年になって子どもも自立したもんで、家内と佐賀のおふくろの家に同居することになりました。今年は西田さんの初盆やけんが、引っ越す前に線香ばあげさせて貰いたかと思うてですね」
そう言いながら小さな仏壇に手を合わせた。正座した靴下の踵の部分が擦り切れて透けて見えた。河合はそれから小一時間ほど話をして帰ったが、それは美佐が初めて知らされた恒男の会社での出来事だった。河合はいかにも悔しそうな表情を浮かべながら茶をすすり話し始めた。
「西田さんは会社を辞めるときは気の毒でしたもんねぇ」
「何か、会社であったとですか?」
「奥さんには何も言わんやったとですか、西田さんらしか。優しい男やったけんが、奥さんに心配かけたくなかったとでしょうね。よう出来た自分にはもったいない奥さんだと、いつも自慢しとられました」
「……」
思わず黙り込んで河合の話の先を待った。
「いや、私も定年になって、もう会社とも縁が切れますけん、言わせてもらいますけどね」
「はぁ…」
「西田さんは会社を辞める半年前から、実は仕事は全くなかったとです」
「えっ、と言いますと…。ちょっと待ってください。主人は毎日弁当ば持って仕事に行ってましたけど」
「コンピューターが導入されてから、私たちの仕事はのうなりました。私は口が達者ということで営業にまわされましたからね、まだ潰しが利いたとですよ。でも西田さんは技術畑でコンピューターの出来んならどうしようもなかったとですよ。西田さんの自慢の腕の振るい場所は若い技術屋に乗っ取られて、西田さんは毎日が、ただ弁当を食べに来るだけが仕事でですね、それでとうとう自分から辞められたとですよ。体のいい首切りです。まぁ、今でいうところのリストラですたい」
初めて聞く話だった。恒男は辞めるとき美佐には、会社に惜しまれながら辞めるようなことを言っていたのだ。真面目で仕事一途の人だった。あの人から仕事を取ったら何も残らないほど仕事には情熱を持っていたのに、どうして辞めるのか不思議でならず、幾ら問いただしても、疲れた。としか言わないものだから、最後は、単なる我が儘かと思ってしまったのだった。
