ただ、西田の家を売ったときだけは、遺産相続の旨を手紙で書いてよこすと、婿の啓司が理恵の代理で遺産の分け前を取りにきた。
「家を売ったら父親の思い出まで無くなってしまうと理恵はかなりヒステリーを起こしてましてですね」
「そうなの、あの子はパパのことばっかりね。パパが死んだ家にたった独りでいることがどんなに辛いかなんて、まぁ、分かってくれなくてもいいけど」
思い出したくもない光景が脳裏をよぎった。風呂でもがきながら恐らく舌を噛み切ったのだろう。温かい湯の中でおびただしい出血を起こし全身を血にまみれて浸かっていた湯の色はぶどう色で、生臭い血の臭いを放っていた。あの日から風呂場がおぞましく、隣近所の目を避けながら銭湯に行っていたのだ。
「理恵は親父さんが死んだのはお母さんのせいだと思っています」
「じゃぁ、啓司さんもそう思ってるわけ?」
「いえ…、まぁ、僕は、そこまでは思いませんけど」
啓司は一度も美佐の顔を見ずに言った。