あの事件から理恵とは絶縁状態になった。だから孫の悠とも、もうかれこれ半年は会っていない。二歳を過ぎてやっと言葉も出始めたかわいい盛りだった。最後に会ったのは恒男の四九日の法要のときで二月の始めだ。美佐が買ってやったウルトラマンの小さな靴を履いていたが、今はきっと大きくなって、もうあの靴も入らないかも知れない、などと想像したりするとき、泣くまいと思ってもつい涙が溢れた。
葬式の後、娘の理恵はきつい目をして、お母さんを絶対許さない! と、投げ捨てるように言い置くと悠を抱えて帰っていった。
娘との仲を修復しようとするだけの努力はしたが、一言の弁解も許してはくれなかった。何度も電話をしたり、家まで会いに行ったが、取りつくしまもしなかった。悠宛てに送った玩具や洋服さえ包みも解かぬままに送り返される始末だ。今年の秋は確か悠の七五三と思い、つい二週間も前に展示会でかわいい紋付袴を一式揃えて送ってみたが、やはり送り返された。そのときばかりは心が折れて立ち上がる気力も失せてしまった。理恵は父親にべったりでいつまでもパパと呼び、美佐のことはママとは呼ばずお母さんと呼び区別していた。母親の美佐にはことあるごとに反発ばかりしていた娘だったから、今は仕方ないと諦めた。
当時、持病の鬱で仕事も辞め、塞いでいた恒男を独りにして忘年会に出たことが非常識だと思われたのならそれも仕方ない。だが、まさか、こんな事態になろうなんて思ってもみなかったことだ。それだけは娘に解って欲しいと思ったが諦めた。