書きたいことが停滞していてあれこれ見てたらふと出会った古いブログ。
面白すぎました。。。
主様、ログインできなくなっちゃって放置している、みたいなことを呟いていらしたけど、いつか再開して下さるといいなぁ。
ああ、ほんと。
知人にも情弱がいて、このブログみたいなこと再三伝えたんだけど、全く聞く耳持ってくれなくて。
そうか、つまり、だから情弱・課金勢なんだなと妙に納得したけれど。
「地方出身者で国立出身の父」と「お勉強が苦手な母」という組み合わせまでテンプレ。
父親は、いかにも偏差値表でしか学校を判断できず、いわゆる伝統校を「その程度」「残念な学校」などと平気でのたまう。。。
「ぜんぜんちがーう!ぜんぜんちがーう!」ってみぃつけた!の応援団みたいに歌いたくなるわ。
本当に、とにかく、「そう言う世界じゃない」。その一言しかない。
ミッション系女子校の出口を見て「国立が少ない」と批判している掲示板などもあるけれど、学力が足りないかどうかの指標にはならず、単に国立を選ばない価値観の中に生きてるのだろうと思います。
例えば、一昔前の感覚(?)で言うと、国立・早稲田・法政・明治みたいなバンカラを好まず、偏差値を下げたとしても慶應・上智・立教・学習院…みたいな「可愛い」方を選ぶ感覚は、東京出身者なら特に違和感ないですよね。
六大学あたりであれば、若干の上下差なんて就活で問題になることはないですし、むしろ、「華やか」「爽やか」なイメージを好む企業だってありますから。
昔の笑い話に、「学習院に中等科から入ったら初等科の子たちがあまりにお金持ちで引け目を感じ、見返してやる!と思って勉強を必死にやってたら『あら、お勉強がお好きなのね』と微笑まれただけだった」というのがあって、その世界観を良いなぁって子供心に思いました。
私自身が、地方出身者である母の代理戦争に巻き込まれて、何度も受験しながら身体に合わない「モーレツ」系の学校で過ごした経験は、まさに、都心とそれ以外の価値観ギャップそのものでしたから。
勉強は、身だしなみと同じで、当たり前にするものであり、「楽しい」と思う気持ちを共有できる学友が欲しかったけど、周りは人と競う道具だと思っているような世界観で、全く合わなくて辛かった。
で、モーレツだった子たちのほとんどが、お花畑だった私よりも稼げていない現実。
親御様方、どうぞ一度お考え下さいね。
「ゴールはどこですか?」
東大卒、の肩書きだけではご飯は食べられないのです。誰も守ってくれません。
何をしていくか、どうやって生きていくか、それを後押ししてくれる学歴でなければ、ただのコレクションです。しかも、親のための。
偏差値の多少の差は、人生にとって誤差の範囲です。でも、スクールカラーの差は、そこで出逢う友人の差でもあり、価値観の差でもありますから、進路に迷った時には、「どちらがよりドヤれるか」ではなく、「どちらが居心地が良いか」が良いのではないかな、と思います。
例えば親から見て「面倒見が良い」とされる学校が、特別講義や補講を沢山してくれるとしても、仲の良い友達が「そんなの興味ない」と言うようなら、絶対行きませんからねー。
私は、大学→就職先と進むにつれて、価値観の合う仲間と出逢う機会が増えました。
価値観が合う仲間と居るメリットは「ラク」で「楽しい」だけではなく、「いいね!」で物事の決まるスピード感とそれに伴う行動力が飛躍的にアップしたことでした。
所謂、似たような価値観の友達とつるむのが心配、視野が狭くならないか心配、というのとは逆の現象です。
昨日書いたように、公立の多様性の中で得られるものがかけがえのないものであった一方、要らぬ苦労も沢山あったな、とも思います。
だから、私立の「価値観の合う」「仲間」と過ごす青春もまた、きっとかけがえの無いものになるでしょうし、結局どこを選んでも良い面悪い面どちらもあって当たり前、と思えば、シンプルに「居心地の良い方が正解」で良いんだと思います。
背伸びせず、無理をせず、それでいて背筋が伸びる、そんな環境に身を置けたら少なくとも後悔はしないだろうと思います。
志望校で悩んだ時、“親を輝かせるトロフィーとして“の役割を一切抜きで考えているかを振り返れば、答えは自ずと出る気がしますし、それこそが合格への近道なのではないでしょうか。
…と、ご紹介したブログの内容とはだいぶかけ離れた着地になった気がしますが、あしからず…![]()