前回の長ーい出産記録の最後に書いた通り、妊娠中、自分の身体の一部のように感じていた赤ちゃんが、生まれてみると全く似ていない!!!!!
というショックは、経験した人じゃないと分からないかもしれません。
あるいは、私がショックを受けすぎなのかもしれませんが。。
自分と子供は違う人格だし、もちろん似ていないことだってあるなんてことは頭では理解していました。
でも、少なくともお目目くらいパッチリしててくれると思っていたのです、何となく。
この辺も、根拠なく「女の子が生まれる」って自信と同じ、無意識に「きっとそうなる」って思い描いていたものがあったのですね。
もちろん、女の子は父親似の方が幸せになるというし、夫は生まれた瞬間から、「あ、自分の子だ」って思えたみたいですし、義母にも愛されるし、嫁の立場としては万々歳ではありましたよ。
でも何だろー。
モヤモヤするなぁ![]()
と思って助産師さんに相談したら、
「うちもそうだったのよー!!
なんか損した気分になるわよね!!!![]()
」
って。笑
「1年近く一人であっためてあげたのに、夫に手柄取られたみたいな感じだったわ!!」
表現のクセが強め。笑
でもそうなんですよーーー!!
なんか、蚊帳の外みたいな気持ち。
自分の家系の要素が全く見えないから、“夫の子ども”を急に手渡されたような置いてきぼり感なんです。
もちろん赤ちゃんとしてはとーーーーっても可愛い。それが我が子だと理解する気持ちももちろんある。
でも、なんか「自分の子」ではないような、不思議な感覚でした。
今、書いてて思ったけど、これって男性側の気持ちに似てるのかもなぁ![]()
ある日突然生まれて、「はい、これがあなたの子です」って言われるわけで。
似てようが似てなかろうが、そりゃ戸惑うでしょうね![]()
「父としての自覚を持って!!!!」なんて怒られるけど、産み落とした私ですら半年くらい(いや1年?2年…?
)モヤモヤとしていた部分はあるので、父性の芽生えに時間がかかるのは、やむを得ないことのような気がします。
あと、私は母を亡くしているので、自分に似た我が子を抱いて、母の気持ちを追体験したかったのもあります。
睫毛が長く、お目目パッチリで、「可愛いから写真撮らせてください!」と言われる赤ちゃんを連れて(
親戚談)、母はどんな気持ちだったのだろう…。
…あ、逆だ。
母は、全く似ていない娘を連れて歩いて、「シッターさんですよね?」と言われることが多くてとても嫌だったと言っていた。(普通言わないと思うんだけどなぁ…)
そうか、私は母の気持ちを完全に追体験しているのだわ。書きながら気付く。
「あら…パパ似かしらね。」
と言われるあのモヤっとした気持ち、母と共有できているのかもしれないな。
なんか微妙に方向が違うから、また分かり合えないかもしれないけれど。
とにかく、当時は、子供が自分に似ているかどうかがどうしてこんなに気になるのだろう、とすごく悩みました。
「そんなに自分の顔が好きなの?」
と思うと、なんだか自分にうんざりしました。いやいや「不可なし」という程度の自覚です。
でも、今となっては、容姿コンプレックスがあるかないか、のせいではないと断言できます。
母と私のケースはまさに真逆でしたから。
男性が父性の芽生えに時間がかかるのと同様、女性だって、産んだだけじゃ母になれません。
まだまだ未熟な親子の絆を形成する過程で、自分に似ているかどうか、という分かりやすい事実が、親子であることの心の拠り所になるのは仕方がないことではないでしょうか。
当時、顔が似てないことでうまく心の整理ができなかった時に、あまり共感してもらえなかったので、同じ悩みを持つ方へ、何かが届きますように。
