先日、畏れ多くもソラマメさんのリブログをして書いてしまったけれど、その続き。

ただの長ーい日記です。



娘の妊娠は思いがけないタイミングで訪れてしまったので、まだ心の準備もできておらず、妊娠したら何をするか…の流れもわかっていませんでした。

結婚式直前だったし、頭の中、「こんなに準備頑張った式が中止になったらどうしよう?!」とパニック。

その上、“産院難民”なる言葉を聞いたことがあったので、妊娠確認をどうしたら良いのかも分からなくて途方に暮れました。



その時に、なんとなく経産婦さんから聞いていた「無痛分娩」の言葉を思い出し、できる産院を検索。そして、提携制度がある近所のクリニックに電話をしてすぐに診てもらうことができました。提携先に通っていれば難民になることはないと知り、一安心。


それにしても、検査薬を使えるすぐのタイミング=妊娠4週くらいで、いくつか病院に電話をしましたが「すでに分娩予約は埋まっています」と言われました…ガーンガーン未だに意味がわかりません。。みなさん、いつどうやって予約しているの!?アセアセフライング検査しなきゃ分娩予約できないってどういうことかしら。。



妊娠発覚からほんの3日ほどの間に、初めて知ることばかりの妊娠、出産の世界。出産費用にいくらかかるか、助成金はいくら出るか、エコーの種類やら、分娩の種類やら、もうほんと頭パンクしそうになりました。


でも、もともと憧れもあった産院に無事おさまり、希望者は24時間いつでも無痛ができるし、やっぱりしない、という選択もあるということで、出来る限り自然に産みたいと思う私にとっては願ったり叶ったり。

母乳は厳しめに指導されると言うので少し怯えていたけれど、蓋を開けてみれば、自分の方がストイックで、助産師さんに「どうか一度休みましょう…アセアセ」と言われるほど、ミルク拒否で過ごしました。

3日たっても赤ちゃんがおちょぼ口でうまく吸えなくて、持って生まれてくるというお弁当も使い果たしてしまい、50ccだけミルクを足すことになった時には、悲しくて悲しくて泣きました。


なんて、母乳育児の話はまた別途。



(ー2DAY)

さて、夕方くらいから少しずつ陣痛が始まり、等間隔になって来たのは21時頃。それからはソフロロジーを意識して、1人寝室に篭り、ライトを暗くして呼吸をしていました。

部屋を覗いた夫に「怪しい宗教家みたい笑い」と爆笑される。私も爆笑する余裕あり照れ

22時の段階で10分間隔になってきたので一度電話をしましたが、もう少し待っていいよと言われる。


(−1DAY)

10分間隔より少し短くなって来た1時すぎに再度電話。「ゆっくり準備をしてゆっくり来てください」の言葉通り、食事をしてからのんびり向かいました。といっても食欲なく、無理矢理ごはんを詰め込む程度。

無事入院となってからも、陣痛の間隔はなかなか狭まらず、明け方になっても5分程度でした。


だんだん疲れて来たので、やっぱり麻酔入れたいです。と、朝7時頃お願いをしたのですが、なかなか入れてもらえず、結局麻酔が入ったのは13時頃

麻酔を入れる4時間前から食べてはいけないため、いつ麻酔を入れても良いように、食事抜きで放置されました。


夜中の2時頃に、軽食をとって以来、何も食べてない。。


今思えば、お食事出しましょうか、なんて一言も聞かれてない。。。でも、13時まで空けるなら朝食べさせてくれても良かったよねぇ。。。笑い泣き



麻酔で痛みはなくなったものの、「お腹すいた…」ばかり言っていた記憶です。



そうそう、麻酔を入れる瞬間は、気持ち良かったぁ〜照れ

麻酔って麻薬なんだなぁって知ってしまった…。あの浮遊感、なんとも言えない感覚でした。



さて、麻酔を入れたらそのまま出産に進むのかと思っていたのに、「陣痛が遠のいてしまいましたね…」と言われ、また放置されます。

点滴しているため分娩台からも動けず、ただ寝ながら待つ時間が過ぎていきます。

ここまで夫は、室内の小さな待合用の長椅子でずーーっと待機。毛布もベッドも貸してもらえない…。あまりに可哀想なので一度帰ってもらえました。


夜、19時頃、助産師さんがいらしたので「そろそろ進みそうですか?」と聞いたら、「陣痛は来てるんだけど、どうかしらねぇ。。」と、ホワッとしたお答え。

「麻酔を切って陣痛を進めたらダメですか?」と、もう促進剤が嫌で堪らなかったので聞いてみたのですが、「血圧がすごく上がっていて危険な状態なので、今は麻酔は切れないです。」と言われました。


血圧が上がった??

高血圧症も痛みもないのになんでだろう。

促進剤使いすぎなんじゃないかしら。。。

もう謎しかない。

とにかく早く赤ちゃんに会いたい。痛くないけど疲れたよーーー。




お腹をさすり、「今日をお誕生日にしたくないのかな?あなたの降りたいタイミングでいいけど、ママは早く会いたいよ」と話しかけ続けました。


この頃から、何となく娘は今日じゃないと思っているのかもなぁと感じ始めました。

実は、娘の名前は2つ候補があり、誕生日時によってどちらかが決まる予定でした。夫の家の決まりなので、私もどのタイミングでどの名前になるかは分かりません。

「好きなお名前を選んで出ておいでね」と、娘に伝えていましたので、片方のお名前が嫌だったのかもしれません。


23時30分頃、助産師さんがモニタを覗いて「まだですね。後で診ますね。」と言って立ち去りました。



(0DAY)

0時を回る頃、急にお腹の中で「グルグルグル〜」とトルネードを感じます。そして、ズンっと子宮の入り口あたりに衝撃を受けました。


後で診察すると言われたまま放置されていたので、「診ていただけますか?」とお願いしての触診。

「あらま、頭出て来てる!」と、突然ざわつき始めました。

(…私がお願いしなかったらどうなってたのだろう。。)


娘は今日を誕生日にしたかったんだねぇ。

産まれる前からコミュニケーションを取れたことに感動を覚えつつ、夫を呼び、お産準備に入りました。



静かなお産でした。でも、いきむときに体を起こさなければならないのですが、夫の支える角度が悪すぎてほぼ自力の腹筋運動状態。「もっとちゃんと支えてーー」と何度言ったことか。



モニタを見ながら、陣痛が波のように寄せたり引いたりするのを感じながら、大きい波に乗ります。麻酔だと小さい波はあまり感じられないので見送り、大きい波を待つ、これがいきみ逃しの理由かぁと実感しました。



呼吸法や身体の使い方を指導していただきながら、助産師さんはバースプランを見て「会陰は切りたくないのね、OK!頑張ろう!」と、産まれるまでずっとマッサージしたり引っ張ったりしながら、切れないように気遣って下さいました。


でも、先に教えて欲しかった…

頭が出るまで頑張ればいいってこと。

その後はいきまなくていいんだよって。

たぶん、肩を出すときにもいきんでしまったので、そのせいでちょびっと切れてしまったんだと思う。。悔しいー。



生まれた娘は綺麗にされて体重計に乗りました。カンガルーケアって生まれたままの姿で出来ると思っていたけど、体拭いたり体重計に乗る方が先なんだ…とちょっぴり寂しい気持ち。


そこでやっと見たお顔がね、

私に全く似ていない!!!


あれ、お腹の中にエイリアン居たのかな?真顔

って思いました。



「はじめましての気がしない!のに、全く知らない顔!」という事実に混乱していたようです。

お腹の中で1年近く一緒に過ごしていたのに、その顔も知らなかったという当たり前のことなのですが、なんかとてもとても不思議な感覚でした。



当然ですが、「我が子」なのに、“顔も思い出せない”のです。自分に似ていなさすぎることが、その戸惑いに拍車をかけた気がします。

あの違和感は、生まれてしばらく経ってからもずっと引きずってしまいました…。