佐野洋子さんの絵本に,「さかな1ぴき なまのまま」(1978年初版/フレーベル館)という作品がある。

佐野洋子さんについて知ったのは,長崎大学在学中。「童話館」の館長さんを招いての講義「絵本を通して,子どもは死をどうとらえるか」というテーマの教育学の授業だった。


覚えているのは,「ずうっとずっとだいすきだよ」,「わすれられないおくりもの」,そして「100万回生きたねこ」の3冊の絵本が紹介されたこと。


「わすれられないおくりもの」についてはこの記事でも書いた。

佐野洋子さんを知ったのはこの講義であり,この頃他の本も数冊買い求めた。絵本は7冊,文庫本も数冊(日本に置いて来た)。


「さかな1ぴきなまのまま」は,男の子のねこが本当の友だちを探しにゆく話である。ねこが歩いてゆくように,右開きで縦書きにストーリーが進む。


「きみ,ぼくがなかなかったの,みちゃった?」と問うねこに,へびが「ぼく,みませんでした。うたでもうたう?」とうまくはぐらかしてくれる。知って欲しくないことは,知らないと答えるへび。


昨年のブラックフライデーの朝は陽射しが暖かく,台所のテーブルを挟んで夫といろんな話をした。


友人について語る時に夫がよく言うのだが,"If you want to be my lifelong friend, just tell me what you want me to know, not what I want to know"。一生の友だちになりたいのなら,私が知りたいことじゃなくて,あなたが私に知って欲しいことだけ話して欲しい。


夫や私は,友人・知人が結婚しているのかすら知らないこともある。年齢,仕事(職場)やお子さんがいるかも。5年くらいして,「離婚して子どもが二人」とか「来年還暦で退職する」という話を聞く。会話やクリスマスカードで,「60歳の一人息子がようやく結婚した」,「今の妻は4番目で」,「娘はガールフレンドと暮らしている」とか出てきて知ったり。もちろん,噂で聞いたようなことも問わない。身体的な部分にも一切触れないが,これも親しくなってから「私の目はね」とか「この腕の大きな傷だけど」と話して下さる。聞いても,誰かに話したりはしない。足の不自由な友人の手伝いはするが,どうして不自由になったのかは尋ねない。話す時が来たら話される,話さないなら知らなくていい,それだけである。


友だちなのに知らないっておかしい?何でも知ってるのが友人,ではない。家族でも。大人になれば一つや二つ,それ以上に知られたくないことがあるのは当然のこと。


日本のテレビを見て知ったが,付き合っている人や夫のスマホ(検索や電話の履歴)を見たい女性がいるらしい。人のスマホを!!うちなどは,お互い日本語とアラビア語で書くことも多いが,スマホはそこらへんに置いてあるので,電話が鳴ると勝手に出たり切ったり。


昔私が携帯を買い替えた時,夫が「アンタの携帯の住所録だけど,もう連絡を取っていない人達の電話番号を削除しといたから」と。「どうも!」と答えた。単に,手間がかかる作業をやってあげたよということ。


何でも知りたいかもしれないが,知らなくていい。清廉潔白なら堂々と見せられると言いたいのだろうが,そういう問題ではないから。疑いを持つとろくなことにならないし,疑うような人,何でも知りたがる人には,そういう人しか寄って来ない。知れば自分も教えろと責められ,自分も苦しめられる。


外見で友人を選ばないということも,この本は教えてくれる。ねこは,ヒモみたいなへびなんかよりもキレイな白ねこの娘さん達と友だちになりたかったのだ。


アメリカ生活で得た最も大きな財産は,何と言っても「外見や年齢からの自由」。それは,自分自身と他人の双方。


「私は体重50Kgで超肥満」だの,「40歳なのでもうババア」だのと言う人は,他人にもその価値観を押し付けていることに気づいていない。自分のことと言いながら,相手にもそれを求めて圧力をかけ否定してくる。ストレスになります。


付き合うのは,若くて痩せたアイドル歌手やロボットじゃなく,生身の人間でしょう。


それから,「(アジア人の)私は外見で差別はされたことがあるけど,差別はしたことがない」とも思っているかもしれない。金髪がうらやましいとか,目が青くていいなとほめているという発言の裏にあるものは何なのか。アメリカに住んでいれば気づくものだ,という訳ではない。


絵本に出てくるねこを襲った「なにか」,この正体が読み取れると解き放たれて自由になれると思う。そして,他人も自由にする。


自分自身の中身をみがき,相手の中身を見抜くこと。外見は年齢と共に衰えるが,精神は違う。自分を自分のままで受け入れてくれる人,そして人もそのように受け入れたい。いろんな人と知り合い,魅力的な人と親しく付き合えるよう努力したいと思う。