アメリカに住んでいると,年に1,2回お葬式に参列することがある。葬儀はfuneralだが,memorial service(メモリアルサービス)と呼ばれることも多く,会話では単にserviceで伝わる。
春先に参列したお葬式は,故人らしいアットホームなものだった。結婚式を挙げたという小さな教会でのお別れ。日本と違って,教会で洗礼・堅信を受け,結婚式を挙げ,そこで神の元へ還る。教会が,人生の始まりから終わりまで共にある。
故人が好きだったという讃美歌,Load of the Dance(おどり出る姿で)で送った。そして,参列者が挙手して,それぞれ故人の思い出を披露。無邪気でかわいらしく,誰からも愛されていた方で,笑いが起きるようなエピソードもあって,本当に「生を祝う」会だった。
彼女は,うちの近所に住んでいらした。週に1,2回ほど食事ボランティアで訪ねていたアメリカ人のおばあさんだ。2020年の秋に施設に入居され,2021年の誕生日には手作りのプレゼントを持って施設を訪ねた。2階の自室を見に来てと言われたが,パンデミックが始まったばかりの頃。ロビーで15分間以内の面会という決まりもあって…また来るからねと手を振り,それが最後になった。
今年の誕生日カードも作っていたが,年齢を重ねる前に旅立たれた。最後に…手を握りに行けばよかった。
コロナ禍になってからは,葬儀後の食事会は遠慮していたが,今回は参加した。彼女は本当に人を招くのが大好きで,きっとすごく喜ぶと思ったから。
彼女は,渡米した頃から娘か孫のようにかわいがってくれて,いつもいつも声をかけて何かと誘って親切にしてくれた。自宅でのお茶にも何度も招かれた。困った時は電話をかけてきて,「あなたならすぐに来てくれると思ったの」と私を頼ってくれた。
Norman Rockwellが好きだった彼女。私が日本から持って来た日本語の画集を見せたり,コレクションをお互い見せ合ってプレゼントし合ったり…。
「わすれられないおくりもの」(スーザンバーレイ作)という絵本があるが,年老いた優しいアナグマに彼女がオーバーラップする。教えてもらったことは引き継ぎ,誰かに送って行きたい。これが自分の生きる意味でもあると思う。
会葬御礼のカードのようなものには,sunrise(生まれた日) sunset(亡くなった日)と印刷してあった。人生は,太陽が昇って沈むまで。夏の太陽のように高く,さんさんと照らしてくれた彼女。大地に恵みをもたらす温かな人で...今でも私を呼ぶ声が聞こえてくる。