母と絶縁した旭道山に、
ぢんさんが言った言葉、
「今まで聞けなかったことを聞きませんか?
今日は、聞きにくいことを聞く日、
別の言い方をすると、
”意地を張るのをやめた日”
を是非やってみて欲しい」
”意地を張る”
私の心に、とても引っ掛かった…。
拗ねる…より
いじける…の方が、
しっくりくるなって、
私自身そう思っていたんだけど、
”意地を張る…”
間違いなく私も、意地を張っていたんだなと思った。
旭道山と同じに、
お母さんに嫌われたくなくて、
お母さんの言うとこを守って、
お母さんの役に立ちたくて、
お母さんの笑顔が見たくて、
ずっと、頑張って来た。
けど、
頑張っている自分を、
認めて欲しいと思いながら、
わかって欲しいと思いながら、
恨みに変わっていった。
聞いてみたいけど、
聞けなくて飲み込んで、
こうだったんじゃないかとか、
ああだったんじゃないかとか、
ただただ妄想だけが膨らんで、
恨みに変わっていった。
だから、
お母さんの、
言い訳も、
考えも、
涙も、
全てが、
受け付けられなくなっていた。
伝えたいけど、
意地を張って伝えられなくて…
反抗する気持ちに変わって、
それをぶつける…
素直になれなくて、
それをぶつける。
それが本当の
自分の感情だと思い込んで、
思いっきり反抗する。
本当は、
それが本当の感情ではなくて、
それが本当の気持ちじゃなくて…
淋しかった気持ちを、
辛かった気持ちを、
甘えたかった気持ちを、
大好きな気持ちを、
伝えたいけど、
伝えられない…
お母さんにわかって欲しくて、
お母さんに気が付いて欲しくて
お母さんにごめんって言って欲しくて
だけど、意地を張って伝えられない…。
間違いなく、
子どものころに
したくても出来なかった「反抗」
今が「反抗期」で、
今までお母さんの為に生きてきた。
やっと「反抗期」が始まった。
今まで、お母さんの為に
一生懸命生きていた。
やっとこれから、
「反抗期」を経て自分の為に生きられるようになる
これから自分の人生を生きる。
ぢんさんが旭道山に言ったその言葉が、
私の過去と重なった。
私が母に対して憎しみで
いっぱいだった時も、
同じ思いだった。
幼い頃に反抗しても、
許されなかった。
だから、大人になって、
私を受け入れてくれなかった両親に、
牙をむくようになっていた。
どうせわかってなんかくれないんでしょ?
どうせ自分の事しか考えていないんでしょ?
どうせ私のことなんてどうでもいいんでしょ?
もういいよ!
ズルいよ!
自分ばっかり!
言い訳なんか聞きたくないよ!
そう思って反抗していた。
意地を張っていた。
素直になる事をやめた…。
そして、
心屋に来て、
反抗期が終わって、
意地を張ることを辞めて、
素直になった、
素直になったら、
母も素直になった。
聞きたかったことを
ちゃんと聞く、
伝えたかったことを、
ちゃんと伝える、
言いたかったことを、
ちゃんと言う。
これがとっても大切なんだと
心から思う。

