ぢんさんの ■「病気」は自分でやめられる/適応障害/統合失調症/発達障害 を見て間違いなく同じだと思った。
この話私だけの考えなのか、そう思っただけなのか
ずっと迷っていたから誰にも話していなかった。
でも間違いなく私もそう感じていた。
そもそも「心の病気」に関して
色んな分野の人が研究したりしている中での事だから
誰にも話せなかった。
…
私の周りには過去の私を含め
いわゆる「精神病と診断される」人がいる。
その人の共通点は「親」との関係
特に「母親」との関係であるということを
私は確信している。
勿論それだけではないのかもしれないけど
大きな要因であると考えている。
私の場合は間違いなく「母親」との
関係が私を苦しめ
この世にいる意味をなくし
存在することすらいたたまれなくて
消える事や、自ら命を絶つことを考えていた。
心療内科で受診し
襲ってくる恐怖と
焦燥感を伝えても
事務的な対応と安定剤の
お土産だけで帰された。
どんなに「母とのこと」の
苦しさを伝えても
伝えれば伝えるほどに
医師との距離が遠くなるばかりで
薬の量が増えて行った。
そして心療内科を転々とし
”わかって欲しい”この思いだけが
置き去りになっていった。
ただただそんなことの繰り返しが
何年か続いた。
そんな自分が
悲しくて、悔しくて
いたたまれなくて
仕方がなかった。
このどうしようもない思いを
持て余していることだけは
間違いないと感じながらも
ただただ時間だけが過ぎていくばかりだった。
このまま私が出会った人の
全ての人の記憶から
スーッと泡のように消えられないだろうかとか
マンションから飛び降りたら
母は泣くだろうかとか
首をつったら簡単に死ねるのだろうかとか
カミソリはどうだろうかとか
練炭自殺はきれいに死ねるのだろうかとか
そんなことを考えていた。
そして、自分自身に追い詰められたある日
(息子が小5の8月5日今から7年ほど前)
夜中に急にドキドキと顔面蒼白と
血圧が下がるのを感じながら目が覚め
襲ってくる恐怖が尋常じゃなく
震えが止まらなかった。
夜中に入院できる精神科を探し
「入院させて下さい」と
震える手で電話をしながら
息子のことを考えるといたたまれなかった。
残される息子のことを考えると
自らの命を絶つことだけは出来ない。
ただただ息子を思うそれだけ、
首の皮一枚で死を選べなかった。
そして、人はこうして壊れていくんだと思った。
人は死を選ぶ代わりに
生きる選択をした時
心のどこかを壊さないと
生きてくことは苦しすぎるから
だから心を壊すことを
本能的に選ぶのではないかと感じた。
そして自分を責め続けるのではないかと…。
そして時折私をおそって来る
恐怖や焦燥感…
「親に愛されていない怖さと虚しさ」
たまに私に見せる母の弱さを鵜呑みにして
母をかわいそうだと思う罪悪感…
まさに「妖怪かわいそう」
そして
自分自自身を責める言葉は
「過去に親から言われたダメ出し」
それが強く心に残っていると
無意識のうちにそれが頭の中で
こだまするだけ。
それが心の映像に移るだけ。
それが幻覚や幻聴なのだと言いうこと。
本当は難しいことではなく
そういうことなのだということ。
自分が望む自分の姿 と
人に望まれる姿 の乖離、戦い。
頭の中でそれが起こっていて
その状態だけなのではないかということ。
…
そして、
親に愛されなかったと感じていたけれど
”愛されない人間ではなかった”ということに
気が付くことで終わる。
そうすることで”自分”を確立し
”親からの自立”をすることが出来る。
…
以前は、毎日「母」のことが
頭から離れず
頭の中を支配していた母を
今は全く忘れています。
そうだ、京都へ行こう!ではなく(笑)
そうだ、実家へ行こう!と
たまに思い出すくらいです。
たまに思い出して
実家を訪れるのです。
そんな時が来るのです。
あ~あんな時があったな~って
あの時はこうだったんだよって
話せる時が来るのです。
※賛否両論あるかと思いますが
あくまでも経験したからこそ
思うことがあるのです(^-^)/