こんにちはcocoです。
反発・反感をもたれているらしい・・・という噂が届いた。
真偽のほどは不明。
前にその話を耳にしてはいましたが
沈静化していたと思っていました。
でもまた届いたそのお話し。
私もその時は、そのお相手に反発を持っちゃって(テヘ)まだまだなわたくしでした。
でも先日「あの話はなんだったんだろう?何かの誤解だったのかもしれない。
反発持ってしまって○○さんごめんなさい」
と反省した直後にニョキ!っと浮上。
どうもずっと火はくすぶり続け、枯葉がくべられていた模様・・・
この 継続に驚いた私でしたが、その後に出てきた言葉は
「私もねたまれるだけの存在になったのねぇぇぇ」
怒りでも憤りでもなく、なんとなく感心してしまった。
開運塾の効果でしょうか?STOP!マイナスエネルギーにあふれた発言。
“cocoは経験や知識が不十分”などなどのご意見があったようです。
もし私が彼等の立場側にいたら、中傷する立場にもなりかねないとも思ってみたり。
私はマゾ気質、とことん自分の痛い感情を追求し続けてきています。
ねたみや嫉妬を持っている時、人は自分の中のそれを認めるのがとても難しいものです。
けっこう辛い作業なのよね、この掘り下げは。
自分のかな~り醜い部分と体面することになる。
痛いのよ、本当に。
私はM!(苦笑)自分のネガティブ感情ってものを掘り下げて掘り下げてってことをずっとしてきました。
これは心理士であるのと、スピリチュアルの道に進む時に、自分を厳しく律することを決めたからなんですが。
それがなかったら、掘り下げる作業や妬み感情についての直面作業からは逃げたかもしれません。
“このお話しをブログに載せよ~オホホ!”と彼に言ったら
「その人たちと同じステージに立つことになるから止めなさい」と言われました。
けれども、私のBlog・・・長年読んでくださっている人も数名(もっと?)いてくださり
私がずっと掲げているモットーは、
スピリチュアルカウンセラーを銘打っているからといって、cocoは人間よ!
無条件の愛!キラキラ話だけの提供なんて、面白くないじゃない。
人間cocoがどんな出来事に出逢い、それについて何を考え、どんな風に乗り越えたか!
それを正直に伝える、それが私のblog道~!!!
と訴えたら、彼ちゃん飽きれていました(おほほ)。
ありがとう中傷事件な気持ち
実はこの中傷事件が、私の最難関の課題を解決するための素晴らしい贈り物でした。
人間cocoはまだまだ未熟者!
誰かの言動に「それってどうなの?」「変なの」「おかしくない?」なんて思っちゃうことありありなんですよぉ。
思考の中では、その方が愛を拡げたい!皆をよりよい状態にしたい!っていう気持ちがベースにあるのであれば、私の価値観に合わなくてもいいのにって思えているのに、感情が足を引っ張ってくる。
なぜかたった一人の方にだけ、ジャッジメントの思考が出てくる。
他の人のことはほぼほぼ気にならない。
なぜかその人だけ…
そんな時は、自分に語りかけてみる。
「誰かを批判している裏側には、その相手をうらやむ感情や、私のほうが優れているのにというジャッジメントがあるのよ!」
まだまだな私ですが、一つだけ褒めても上げる。
この思考や感情の出所を、私の問題として認識しているところ。
その人がダメだからとか、その人の言っていることがおかしいとか…思ってしまうのは自分の責任。
こなってくると そのお方は、私の先生のような存在としか思えなくなってきていました。
私のダメダメな面、ジャッジメンタルな面をイヤ!って言うほど見せてくれていたのです。
すべては必然
けれども、終止符が打たれるその時はきた!
今回の私への反発事件。本当に心からありがとぉぉぉ!
その事件の度合がどれほどのものか不明だし、噂だけかもしれないし、なんでもいいんだけど、それが私の耳に入ってくれて有難う!
なぜそこに繋がったかといいますと、
スピリチュアル領域では「全ての出来事は必然であり、偶然はない」と言われています。
私が大好きなネイティブ・アメリカン・アパッチ族最後のシャーマンと呼ばれたグランド・ファーザーも何度も何度も
「偶然はない、すべて必然である」
と言っています。
私にとってはすべては必然。
心理士になったのも
スピリチュアルの世界に入ったのも
SRTを始めたのも
グランド・ファーザーのシャーマンメソッドのワークショップを始めたのも
心理士になった時も、スピリチュアルの世界に入ることになった時も、ハイセルフさんからの啓示があったから、聞こえてきた言葉があったから。
SRTの時は、学ぶつもりありませんと抵抗したけれども、学ぶことが必然という納得感を抱く出来事ばかりが連続したり…。
グランド・ファーザーのワークショップの開催も必然。
火起こしできないとか、スカウト術を身に着けていないとか、言い訳ばかりでずっと遠い未来においていました。
けれどもある日、夢の中に私の先生であるリチャード・バッソがやってきて
「えりこ、セイクリッド・サイレンスをやってくれ。そしてグランドファーザーの教えを日本に広めてほしい」と熱く語る語る。
しかもその日は、知る人ぞ知るスーパー・コンサルのケンジさんに、私が何をしたいのかを文章でまとめて提出する締切日でした。
そんな夢のあとですから“私の使命は地球のケアテイカー!”と熱く伝えちゃって・・・
数日後、私のSRTメインのblogが、グランド・ファーザーのシャーマンメソッドがメインのblogへと転身を遂げていた(ケンジさんが一夜城のごとくBlogを創り変えたのです)
私にとっては全ては、必然でした。
反発を感じている方々にとっては、私の必然をただの偶然と思っているかもしれない。
それならば、反感をいだくのも致し方ないのかもしれません。
人は自分の必然には敏感だけれども、第三者の行動にも必然が潜んでいることを見落としがちです。
なぜならば自分の価値基準というフィルターを通して、事象を眺めているから。
そしてそこにジャッジメントというフィルターが影を潜めているのですが、見落とし勝ちなのです。
1つ1つ、丁寧に、丁寧に、事象を受けとめ、必然という言葉をいつも念頭においておくことがいかに大切か。
なので、私が反発を得たのも必然なのでしょう。
真偽は分からないけれども、真実であったならば、それはそれでいい。
受け止めます。
何を意味しているのか?何を私に語ろうとしているのか?
高次の存在たちと会話を続けました。
そして「ありがとう」と思えるようになりました。
反発・反感・必然を見つめている時に気付きがやってきました。
私にとっての最難関の学びであった、学びの先生への反感が…なくなりました。
その方のやっていることもすべて必然なんだと気持ちがやっと納得してくれたのです。
その方のしていることに対して、とやかく言うステージに、私は立っていない。
私にそんな立場にいないんです。
人がする行動はすべては必然であるから。
悲しいことですが…
誰かが、誰かを何かを、傷つけることさえも必然なのでしょう。
もし子どもや動物について考えると、身を切られる痛みを感じますが、それも必然です。
けれどもね!光を広げる、愛を拡げるというコミットを私はしています。
それゆえに、その傷を広げようとする闇を、私は消させていただきます。
そこに怒りを抱いたら、闇に加担することになるので、怒りは沈静化させちゃいます。
私は光の拡張にコミットしたので、良い悪いではなく、任務遂行のため、闇を拡げる行為を見つけたら消しに行くわ。
私の前にやってきたんだもの、それって必然でしょ、イレイサーcocoよ!
人が愛を持って進めていることに、とやかく言うステージに誰も立てない。
そんな気づきにたどり着けて、スーパーラッキーと気持ちが浮上。
ハイセルフもガイドたちも「ハードな出来事だったけど、ためになったでしょう」とニヤリ。
SRTもネイティブ・アメリカンのシャーマンヒーリング・グランドファーザーメソッドであるセイクリッドサイレンスも
“必然を自然に受けとめられる自分になる”ためのメソッドなんだとつくづく感じました。
それ以降、もちろん、お釈迦様やマリア様のようにはなっていません!
人間cocoのままです。
理不尽なことだ!と思ったり、それっていったい?だめじゃん!って思考沸いてきます。
人間ちゃんですもの。
ただリセットが早い。
必然、必然、それらは必然。
愛があるから、それはそれでOK。
愛がないものには
「この必然との遭遇、私に何を意図しているの?私は何をする?何をしたい?」と
ジャッジメントなく考え、動けるようになっていきます。
一緒に「偶然は存在しない、すべては必然!」体感していきましょう。
光り輝く次空間を!オールグッドメディスン!