先週は本当に色々あった週でした。
嬉しいこともたくさんありましたが
悲しいことも。
バイオマンのメイン監督
堀 長文さんの急逝。
今年2月にイベントでお世話になった
パリのテロ。
その同じ日に
江森陽弘さんの訃報のニュースが。
私の短い芸能生活の中で
1番長かったのが
もちろん、『超電子バイオマン』
そして、バイオマン撮影途中から、
並行して出演させていただいたのが
テレビ朝日の
『江森陽弘のモーニングショー』
木曜日のコーナー
『牧野美千子の途中下車の旅』
をほぼ1年間。20分余りの番組。
今思えば、
キー局で、大それたことを
させていただいたんだなぁと。
VTRを生放送で挟んで放送してました。
制作はテレ朝系列局、つまり地方制作。
なので、バイオマン後半から
水曜日夕方までバイオマン撮影し、地方へ。
木曜日朝、生放送こなして
次週の放送分のVTR撮りに次の場所へ。
木曜午後と金曜日1日かけて撮って帰宅。
というサイクルをこなしてました。
コンセプトは知られてない観光地。
ですので、電気の無い温泉に行ったり
ちっちゃな島へ行ったり。
路線バスに揺られて奥地へ行ったり。
日本中、北海道から沖縄まで
東京と行ったり来たりしながら回りました。
体力的にはキツかったし、
マネージャーも無しで1人で
毎回違うスタッフとの仕事で
気をつかいながらも頑張った21歳のワタシ。
全く喋りの基本もできてないのに
それが許された時代。
素人っぽさが受けた時代だったが故でした。
そのモーニングショーの
メイン司会であった江森さん。
私のつたないレポートや喋りを
優しく受け止め、的確にコメント。
素人娘のフワフワしたコーナーを
ピリッと締めてくれました。
サブ司会の八波一起さんのユーモア
柴田美保子さんの母のような優しさ
とともに、本当に助けていただきました。
このコーナーの最終回。
スタジオでの生放送なのに
号泣、号泣で何も話せなくなったワタシに
江森さんがハンカチを貸してくれて。
紺のチェックのハンカチ。。。覚えてます。
知識が豊富で分かりやすい説明をしてくれる
江森さんとの時間はとても楽しく勉強になり
堀監督と同じように
父親のように頼ってました。
江森さんにも黙ってやめてしまった
この世界。
モーニングショー後の
ジャーナリスとしての活躍、
俳優への挑戦
陰ながら応援してました。
江森さんへも
ご挨拶できず、不義理のままでお別れ。
先週は
堀監督に思いを馳せ、
江森さんへの不義理を悔い
若いなりに頑張っていた21歳に
タイムスリップしておりました。
思い出し始めると
全てが昨日のことのように覚えてることに
我ながら驚き。。。
『江森さ~~ん。おはようございま~す』
と毎週木曜、生放送で現地から呼びかけ。
『江森さ~ん!それでは次の場所へ。
いってまいりま~す』
で終わっていたコーナー。
『美千子ちゃん!気をつけて~!』
優しい声は、今もはっきりと。
ご冥福をお祈りいたします。
ありがとうございました。