退院後② | 顎下腺腫瘍〔良性〕を経験して

顎下腺腫瘍〔良性〕を経験して

2021年7月顎下腺腫瘍のため顎下腺摘出手術を受けました。
稀な病気なため情報が少なく不安な日々を過ごしました。
私の経験が誰かの参考になればという思いと、自分自身この経験を忘れないように書き留めておこうとブログを始めました。その後は日常の独り言です。

息子達が家に戻ってきて、忙しい毎日が戻ってきた。

子供達に旦那がうまく言ってくれたのか、首の傷を見てもびっくりすることもなく、普通に接してくれたのが嬉しかった。


夏休みで一人でいる時間がないし、3食準備しないといけないからバタバタと余計なことを考える時間がないのはありがたかったりもした。


次の診察の4日前ぐらいから、また不安が強くなってきた。

もう結果は出ているけれど、病院に行くまで日にちがあったからもどかしかった。

あまりに不安定だから、夫が電話して明日でも病院行く?と聞かれたけれど、主治医の先生はいないし、夫は仕事を休まなくちゃいけないし、、土曜日まで待つしかなかった。



細胞診の結果は良性だったから、きっと良性の可能性のほうが高いとは思っていたけれど、

手術前に先生に言われたこと、

多型腺腫は途中で悪性化するかもしれないこと、一部でも悪性化している可能性だってあること。

結局とって病理検査に出さないと確定診断はできないこと、、、、

やっぱり不安だった。


1ヶ月前、しこりを見つけたとき1センチぐらいと言われたけれど、どうしても最初よりは日に日に大きくなってると自分ではずっと感じていたからそれが余計に不安させた。


細胞診で良性でも病理検査の結果で悪性だった人の話を読んだこともあったから、どうしても万が一のことを考えてしまっていた。


夜はいつも二階の窓から空を見て星を探していた。もう期待して落とされるのが怖いから覚悟はしておいたほうがいい。

悪性だった場合は長く生きられない可能性が高いから、そういう運命だったと受け入れて、残りの人生を一生懸命大事に生きよう。


この病気になってからは毎日そのことは考えていた。

きっと運の悪い人生だったから、またそうかもしれないと未来に期待できない自分がいた。


けれど客観的に見ると細胞診が良性ならきっと大丈夫だよ。という感じが多いだろうし、なかなか夫や父親、友達にもここまで悩んでいたことは言いにくかった。

最後にすごく孤独を感じた。

子供達が優しくしてくれたのが救いだった。