4年前、

父が存命だった時に書いたものです。

読み返しても

本当にそうだなぁ、

いっぱい認知症だった父に

教えてもらったなぁ、と思うんです。

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父はこの春、89歳になった。

 
本人も周りも
この年齢まで元気でいれることを
不思議以外の何物でもないと
強く思っている。
 
肝臓癌で肝臓の半分はなく
脳梗塞で脳の半分に出血が起こり
右半身麻痺は避けられない
と、言われ
大腸癌で毎日、排出物に血が混じる。
 
でも、
元気なのである。
 
右手を使って箸を持ち 豆だってつまむ。
 
認知症の進行度は
駆け足並みに進み
ほとんどのことはすぐ忘れるし
過去の記憶も、日によって
変化するので聞いてて楽しい。
 
亡くなった母は、
恋人になることもあれば
私の母になることもあったり
 
私の息子は
父の甥っ子になったり
息子になったり。
 
覚えてないことが寂しいとか
情けないとか
本当の父はどこに行ったの?とか
まったく思うことはなく。
 
 
自我に惑わされず
自然体でただ、ありがたく
日々を過ごす父は
私にとってはほとんど神。
 
 
見たものを感じたままに
思ったことを思惑なくそのままに
与えられたものに感謝して
淡々と余生を生き切る姿は
その存在だけで
感謝に値する。
 
と、私は感じるのです。
 
 
こんな風に考えられるのは
川上貢一 コォさんの
奇跡のコースを受けている影響が
多分にある。
 
 
奇跡のコースとは?
と、思われたらググってみて下さい。
 
宗教的な目線ではなく
神の存在や精霊の存在を解く
そのクラスは
自我に振り回されるとは?
を、深く考えさせてくれる。
 
自我に振り回されるのは
思考中毒のことだと
わたしは解釈をしてる。
 
思考は現実を作り出すけれど
そこに、
自我に振り回されてる事を
知らなければ
望む現実は作り出せない。
 
 
望む現実とはなにか。
それさえ
目線によって変わってしまう。
 
自分が本当に望むものを
心は知っている?
 
父を見てると
目の前のものを受け入れ
ありがたく拝受して
命を使い切ることの
難しさと素晴らしさを
教えてもらってるんだなと思う。
 
 
認知症は悲しいものでなく
生きることの
自我に振り回されない
本当の意味を知らしめてくれる
ありがたいものだなと。
 
なので
素晴らしきかな認知症、
だと思うのです。
 
 
ぴょん!!!