お盆ですからね。
漂ってるのかもしれませんね。
会議のような時間。
昨日、買い物に行く途中
いつも思わないのに
【この先に父の施設があって
昨年も足しげく通ったね】
と、思い出した途端
目の水分で、前が見づらくなった。
父の所に出かけた時の記録。
今日は思い出して読んでみよう。
=過去の記録=
今日は、ちょうどお昼時だったので
好物の牛スジコロッケと
ハイボール缶をお土産に訪問。
ランチのお膳を見ると
食は進んでない。
暑さのせいもあるのかな。
・・・・と。思いきや。
お土産のハイボール一気飲み
+ コロッケペロリ。
わがままですが、お昼のメニューが
どうやらお気に召さなかったのが
食が進んでない原因だったようで、^^;
父には、こんな食事がいいよ、とか
肝臓が半分無いんだから
(肝臓がんで5年前に半分摘出)
アルコールは控えた方がいいよ。
そんな言葉は、全く通用しない。
いつも、父は言う。
「食べたいものを食べて
飲みたいものを飲む。
自分の人生の楽しみを取られたら
生きてる意味がなくなる」
父の精神は、本当に強靭。
だから、
父にしか通用しない理論だろうけど
思ったことが未来に繋がる。
これを、そばでいつも見せてもらう。
春に、脳梗塞を患ってね。
MRIの4枚すべてに、白いところがあって
お医者様には
「車いすを覚悟してください。
右半身マヒは、免れません」
と言われたけど、今も右手でお箸を使い
ゆっくりだけど、自力歩行をしてる。
きっと、父は、自分の足で歩き、
自分で食事をし、最後まで好きに暮らす。
こう、決めてるんだろうな、と思う。
認知症がかなり進んでるので
1時間前の事はすっかり忘れるけど
過去の事は、忘れない。
なので、時々、
英英辞典を読んで楽しんでる。
過去の事は忘れるのに、
孫の事だけは、忘れないのが不思議。
長男が転勤になったことを伝えると
「知ってるよ、前に聞いた。仙台やろ?」
と、答えるのに
前日に妹が訪ねていても
「ずいぶん長い事、顔を見てないなぁ」
と、言う。
きっと、父の中の特別なものだけは
認知症の壁も破ってしまうんだろうな。
私が、アメリカに行ってたことは忘れてるけど
昨夏、訪ねてきたひ孫の事は、覚えてる。
もう一つの特別は、長女・フシギのこと。
彼女が、引きこもり生活をして
未来なんて必要ないと、荒れてた頃も
「生きにくいんやな、フシギは。」
といって、否定もせず、
ただ、彼女を見守ってくれていた。
今日、フシギが昇進したことを伝えると
「そうか。。。そうか。。。」
と、涙ぐんでた。
フシギの事も、やはり決して忘れない。
いい学校に行け、とか
勉強をしろ、とか
いい会社に入れるようにしろ。
なんてことを、
子ども時代のワタシは
聞いたことがない。
ただ、18歳の時に言われたのが
「もう、大人の世界に入るんだから
何をして、どう生きようと構わないけど
自分の責任だけは、自分で取れ」
それだけ言って、後は、本当に何も言わなかった。
結婚する時も、何も言わなかったけど
離婚した時にだけ、悔しそうに言った。
「彼(元夫)は、フシギが困難な状況の時
何ひとつ、手助けをしなかった。
だから、どうしてお前が離婚を切り出さないのか
不思議で仕方なかった。」と。
それも、離婚をすると決めた後に。
その時に聞いたことがある。
「どうしてそう思ってたなら
その時に、言ってくれなかったの?」
すると、父はこういった。
「お前の人生はお前が決めるものだから」
例えば、
どこの学校に入るか、ではなく
何がしたいから、どこに行くか。
それを、自分で決めなさい、責任もって。
たぶん、
そんなことを伝えたかったんだろうな。
父は。
今日は蒸留のためでなく
あちらの世界の人々のために
素敵なお花を買ってきましょうね。