父を見送って1週間。

 

先週の日曜日、

 

私は東京で講座をしていました。


 

実は、日曜の夕方

 

予定していたことがあり

 

月曜帰阪の予定にしてたのですが

 

日曜の夜に戻った方がいい気がして

 

予定、搭乗便を変更し

 

最終便で帰ることにしたんですよね。

 


 

東京から山手線〜モノレールで

 

羽田に向かおうとしてたのですが

 

新橋までタクシーで向かうルートに

 

変えることになりました。



 

その辺りも、


準備されてたんだと思います。

 

タクシーの中で電話を受けました。

 

【お父様が息を引き取られました】と。



 

 

急といえば急でした。


 

でも、お別れが

 

遠くないことは分かっていたので

 

動揺するというより

 

帰るところで良かったな、と

 

思う方が大きかったですね。


 

 

講座の途中だったら

 

どうしてたかわかりませんもの。

 




まるで時間を見てたかのような

 

父の逝き方に感謝しかなかった。


 

死際に会えなかったというのは

 

残されたものの感情。


 

それを持たないようにするため

 

施設に面会に行くたびに

 

【これが最後かも】と思い

 

かたく握手して帰ってました。



 

高齢の親を持つ人は

 

そう思いながら過ごすと

 

お互いにいいかもしれません。


 

 

 父と触れ合うなんて


数年前なら出来なかった。



それが歩行が怪しくなった頃から

 

手を繋いで歩いたり


肩を貸してるうちに


この感覚を忘れないでおこう、と


施設に行くたびに


掌をさすったり


ハイタッチしたりして


練習したんですよ、^^




昨年辺りから


帰り際に握手できるようになってね。


コロナ禍になってからは


ビニールシート越しだったから


それもかなわなくなったけど


私の胸には


握手した時の感触が


ちゃんと残ってるのです。



残念ながら母には


それが出来なかったので


感触としては残っていない。



だからこそ、お勧めします。


今日は今日しかないので


何事においても


したい事は、しておく。




しようと思う、


は、


ずっと出来ないのですよね。




『思う』を外した時


それはできるようになる。