1995.1.17 から25年。
四半世紀の
時が流れたことになります。
私が住む宝塚も震度7の地域があり
住んでる家は大丈夫でしたが
当時、眼鏡店を営んでいた場所は
被害が大きくて
店の商品や機械が
壊滅してたことを思い出します。
人的被害がなかったのが幸いでした。
地震の翌日からの記憶は
あまりありません。
余震の度におびえ
子どもたちと肩を寄せ合っていた。
元夫は、普段なら1時間かからず行ける
神戸市内の会社から
会議の出勤命令が出て
4時間以上かけて
遠回りして出かけてましたね。
今から考えると
酷いもんだと思いますが
当時はみんなテンションが
おかしかったと思います。
大変だったね、と
過去の労をねぎらうのでなく
いつ災害が起こっても
おかしくないこの地球で
平和に暮らせてる奇跡に
改めて敬意と感謝を表したい。
そして
忘れないことも
体験したものの役目だと思うので
改めて読みました。
地元、神戸新聞社の記者たちが見た
震災直後から一週間。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/sinsai/25/rensai/P20191107MS20136.shtml
ほとんどの人が被災者でありながら
記事を書き、写真を撮り続けた。
壮絶な葛藤があったと思うけれど
記録があるから
同じ轍は踏まない、が
生きて来るんだと思います。
あの日に天に還った
大切なすべての命に
哀悼の意を。
生きている私たちは
この奇跡を
心の底から
感謝する一日にしたいです。