父の施設に行ってきた昼下がり。

施設の前の川沿いに
桜が何十本も植えられていて

休憩スペースの窓からも

十二分にお花見ができます。

 

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この日は、施設が「桜祭り」を開催してて

玄関前で甘酒をふるまってくださってて

父と一緒に外に出かけました。

 

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外の風が冷たかったようで

【寒い、寒い】と大騒ぎ。
1枚だけ桜の下で一緒に撮ろう!

って、無理やり引き延ばしたけど
(ごめん、父)1分で退散。

 

部屋に戻って、ひざ掛けかけたり

背中さすったり

あったかいお茶いただいて

あったまってもらって。

一息ついたところで
いつもの記憶ゲーム(と、名付けてる)

昔の写真や

孫やひ孫、私や妹の写真を見せて
誰かあてるゲーム。
(ゲームと割り切ってすると、

   なかなかおもしろい)

 

 

おもしろいことに

少し前まで頓珍漢だった記憶が

なんだか、パズルが合わさるように

キレイに思い出せるようになってて

ちょっとびっくりしてたのです。

 

私の誕生日も、おしい!ってとこまで。

(以前は月日に関することは
 もうだめになってたんですよね)

 

 

不意にでてきたこの写真。

 

私が大やけどをして

皮膚移植を受けて、退院して

間もなくのころの写真。

 

わたしね、父には

聞いたことがなかったんです。

 

どうやって入院にこぎつけたかとか、

当時のこととかね。

 

聞くと、きっと何か言ってしまう。

言うと、何かが壊れてしまう。

そんな風にずっと怯えてました。

 

父も母も、祖母さえも

無かったことのように口を閉ざし

私はワタシで、気にしてないふりをしたり。

 

でも、ケロイドでいじめられたり

幼稚園に行けなかったり

いろいろあったけど、真ん中の部分は

話からいつも逸らしてたように思うの。

 

 

 

57年聞かなかったタブー。

今なら聞けるなぁと思って

聞いてみました。

 

「私さ、あんまり覚えてないんやけど

 この時、どうやって過ごしてたんかな。

 入院はどのくらいしたんかな?

 どこの病院やったんかな?」

 

 

そしたらね、父が

【みんなでな、やけどのことは

 話さんようにしてたんや。

 話したら気にするやろ。

 だからな

 おかあちゃんも、おばあさんも

 近所の人もみんなでな

 お前には、話さんようにしてたんや】

 

【入院はなぁ、一か月か二か月か。

 ちょっと忘れたな。

 阪大病院に入院しとったんや。

 西川先生(懇意にしてた恩人)の紹介で

 奇跡的にな、入れたんや】

 

私が祖母に聞かされたのと

全く同じ内容でした。

(祖母は私が知りたいことは

 なんでも教えてくれる人だったので)

 

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わたしね、その時

今は地球にいない

母や祖母や、近所のよくしてもらってた

おじちゃん、おばちゃんたち

みんながテーブルの周りに

集まって来てくれたって、感じました。

 

みんなが

 

そうやで。

いっつもみんなで、まこちゃんのこと

見守ってたんやで。

 

って、聴こえた気もしました。

 

【大変やったなぁ、あの時は】

と、私にかけてくれた父の言葉で

少なからず持っていた呪縛が

全部吹っ飛んだ瞬間でした。

 

 

生まれたことが奇跡。

今、命のあることが奇跡。

桜を見るたびにずっと毎年

思い出せるだろうな。

ありがたいお花見でした。