病気となって身体に現れる。
それは、
自分の内側を見せてくれる大事なサイン。
見逃しがちな、あるいは
観たくない、
できれば素通りしたい側面なのかもしれない。
そんなことを思いながらの
人生初の車いす体験をした日々。
この出来事で、私は自分のなかにある
とてつもなく大きく育った【恐れ】に
向き合うことになったのでした。
原因不明の腰の痛みは
アイスピックっで背骨の間を
常につつかれてる感じ。
でも、病理的には原因が見当たらない。
この痛みを辿っていくと
【恐れがそこにある】と、教えてくれた谷田さん。
3日間考えました。
でも、わからなかった。
無理に、理由をこじつけようとすると
そこには、娘を置いてアメリカに行くこと
高齢の父を施設に預けること、
英語の苦手な私が生きて行ける?
いくらでも湧いてきます。
でも、それが原因でないことは、よく知ってる私。
そんな時に、避けられず
どうしても集中せざるを得なかった仕事の時間。
ものすごく身体はしんどいのに
気持ちが何だか充実してる。
あれ?
わたし、仕事そんなにしたかったの?
2週間以上、仕事から離れてた私は
いつの間にか、そんなに離れて大丈夫なの?
の、想いに蓋をし始めてた。
それは、内側で、あるものを刺激する。
大切に大切に、育ててきたものを手放して
遠い異国に行ってしまって大丈夫なの?
関わってくれた多くの方々を残して
一人でしたいことをして、本当にそれでいい?
その先には、それらの裏返しがあります。
ひょっとしたら、せっかく積み上げてきたものを
壊してしまうんじゃないの?
それが見えた途端、思ったんです。
いいじゃん、怖くってもさ。
そりゃ、怖いよ。
この先、どうなるかなんてわかんないし
ここで踏みとどまっても、崩れない保証はない。
崩してはいけないと思うから、怖いんだ。
器が大きくなって、入りきれなくなったら
それは、壊れて出て行かないと、それまでだしね。
いろんな思いが巡ります。
うまく、文字には書ききれないけれど。
今から思うと、安全に守られた固い殻を割るのが
とても、怖かったのかもしれません。
自分で選んだ道なのにね。
そして、唐突に、本当に唐突に
光の中から小さな女の子が
ニコニコしながらおりてきて
するりと、
私の中にはいっていくのが見えたんですよね。
それは、私の思考や感情が生んだ
イメージだったかもしれないけれど。
そして、覚悟がおりてきました。
あぁ、私は50年ぶりに自分を歩き出すんだなって。
私ね、2歳半の時に大やけどをしました。
左手の皮膚が溶けて
グーになって固まっちゃうくらいの。
50年以上も前の事だったので
本当に奇跡のような話なんですが
偶然、日本で最先端の移植手術をなさるドクターに
生体皮膚移植をしていただけることになってね。
2歳半の小さな太ももの皮膚を剥いで
指を、手を、再生していただいたんです。
8時間以上に及んだ手術の際
ものすごい出血量だったらしく
ずっと輸血していただいてたそうで。
小さな体が、
8時間も輸血を受け続けたらどうなるか。
もともとあった、私の血液をはるかに上回る
頂いた人様からの血液で、私は生きながらえた。
手術を終えた私は、人様の血液で生かされたんです。
そう、産まれたときの私は
ある意味、そこで居なくなってしまった。
これは、後にある人から教えられた話。
私が、実に様々な仕事に関わり
多くの人と接するようになった理由。
知らない多くの方々の血液で出来た私という人間は
多くの方の人生を
歩くような細胞になってしまったってこと。
人が10年かかってすることを
3年や4年でしてしまえたのは
輸血の恩恵であったということ。
科学的には、え???なんでしょうが
スピリットは
実にたくさんの記憶を留めたんでしょうね。
そんな自分を気が短い、飽き性だと
責めたことも幾度となくあり
自分が大嫌いな時代もありました。
それでも、その事実を教えてもらってからは
ありがたいことだ、と
たくさんの人生を受け止めよう、と
思えるようになったんですよね。
そして、薄々感じていたこと。
それが、もう終わろうとしてるってこと。
50年以上経ったので
その役割も終わりだよって、
どこかで感じてたんですよね。
そしたら
雲の上から降りてきた小さな女の子。
その正体、もう、お分かりですよね。
そう、私は今から、
本来の自分を生きる季節に入るのだと確信しました。
そのために、それを気づくために
恐れも必要だったし、身体の不調も必要だったんでしょう。
そのほかにも、気づいたこと感じたこともありましたが
それはまた、いつかの機会に。
新しい自分を生きるための渡米。
そして、渡米前のこのタイミング。
人生って本当に不思議で愛おしいものだな、と思います。
この大きな決断をさせてくれたのは
【愛】です。
このお話は、もう少し先で、、、ね。