あの日の不安と焦燥感。


思い出して辛くなった人も多いだろうね。


そして、昨年の3.11.


1.17の朝の気持ちと交差し


ガクガク震えが止まらなかった。


そんな人たちも、多かったと思う。



忘備録のため


あの日にあったこと、忘れずに書いておきたい。


そう思って、昨年は

 

亡くなった親友の事、書きました




色解きワークdeいい女!@マダム眞子の心彩便
大野良平氏の鎮魂の光。

(詳しくはこの記事に・・・・



ワタシの母校でもある宝塚市内の高校は


スキー修学旅行の真っ最中だった1995・1・17.


先生たちの戸惑いは


いかなるものだったろう・・・・。


生徒の一人の母上が、亡くなった。


その彼が、もし自宅にいたなら


亡くなっていたかもしれなかった場所。


先生方は、彼に伝える方法について


きっと、ものすごく悩んだだろうと、思う。


人の「生」と「死」の境目ってなんだろう。


今、生きていることって、なんだろう。


そんな気持ちに、長い間、揺れ動いたな。




その彼も、34歳になるんだね。


もう、自分のお子さんを持っただろうか。


もし、自分が瞬時に死んでしまったら


どんな想いが残るだろうか。



きっと、自分の死を悲しんでばかりいないで


子どもたちは、自分の人生を


楽しく、豊かに過ごして欲しいと


そう願うのじゃないかな。



今、生かされているワタシタチは


自分の人生を楽しく豊かに


生きなくてはイケナイのだ。


亡くなった方のため


・・・・でなく、自分のために。


そんなこと


改めて思った1・17の朝。



今、生きて


愛する心を持てることに


心から深謝。