「翠、実は私、看護師辞めるの」咲子は看護師を辞める決心をしていた。
「えーっ、もったいない。辞めてどうするの?まさか引きこもり?ニート?」
「そんなわけないよ。夜勤続きでもうクタクタ…。おまけに子供も情緒不安定になっちゃって…」
「それは可哀想ね。転職先は決まったの?」
「うん。アパレルショップで働くことになったの。私、ファッションデザイナーになるのが夢でね、だからそこで働きながら勉強して」
「”二足のわらじ”は大変ね。でも現実は甘くないよ。ま、新しい職場で頑張って。あたしにはどうにでもできないし。陰で応援するしかできないけど」
「ありがとう」
翠はため息をつきながら咲子にアドバイスをしたものの、どうも納得いかなかった。あれほど強気な翠も、自分の非力さを痛感したのだった。咲子は(さすが言うことが違うわ…なんか自信に満ちあふれてるというか、非の打ちどころがないというか、彼女の眼を見て感じたわ…とても輝いてるし目力の強さからわかるわ…私もああならないと)と思った。
「咲って、口元がお兄ちゃんソックリね、ガチャ歯だし。笑うとね、ほらドラキュラみたいにニョキっとしてて。ま、そこが可愛いんだけど」
「コンプレックスだから、可愛いと言われたのは初めてよ。直そうと思ってたけど自信持てたわ」と、咲子は両側にあるヤエ歯を見せながら微笑んでいた。
(ほんと、笑顔はお兄ちゃんソックリで可愛いな。兄妹だから当たり前か)
「そういえば咲、妹もいるんだっけ?」
「いるよ。デパート店員になってすぐにデキ婚して娘産んで離婚してるのは知ってるわ。あれからどうしてるのかわからない。彼女も心配してないみたい。どこかで元気に過ごしてるんじゃないかな」咲子には妹がいるが、彼女の近況は一切わからないみたいだ。
「翠は悩み事ないのかな?なさそうに見えるけど…」
「それがあるのよ!一緒に働いてる新入りのゴミが。パッと見、ハーフっぽいよ」
「スタイリストのタマゴ、ってやつ?楽しみじゃない」
「ぜーんぜん。あたしの足手まといになってるよ。だからあたしがキツい言葉を浴びせてるよ。この間も言ってやったよ。あんたの顔なんか見たくないとか、さっさと実家に帰んなよって」
「それって可哀想。パワハラよね?彼女、どう思ってるのかな」
「別に何とも思ってないみたい。打たれ強いというか、何言われても黙ってるし。あの娘には素質や能力なんてないのよ。そもそもこんな世界に飛び込んできたのが間違ってるのよ」
「彼女もこの業界に憧れて夢を叶えたはず。翠って思ってることをすぐに口に出しちゃうから。彼女、かなり傷ついてるよ」
「あら、あたしは悪くないわ。あの娘も悪いよ。とにかくやる気が感じられないのよ。スキルも上げようともしないし。あったま悪いわ、ほんとに。それに動きもトロいし、イラっとするわ」
「翠の気性からしたら、彼女の存在が鬱陶しいのよね?他のスタッフはどう思ってるのかしら」
「黙ってあたしについてきてくれるわ。だって”チーフには頭が上がらない”って」
(随分慢心ね…こういうところ学生時代から変わってないわ…。実家が裕福で苦労知らずで育ってきたもの、翠は)
「それでね、うちの事務所主催のショーが二か月後にあるんだ。咲も見に来てくれる?これだよ」翠は「ミドコレ」のポスターを咲子に見せた。
(”「ミドコレ」”…?)
「えーっ?本当?仕事が休みなら行けそう。楽しみね」
「うちだけでなく、大手のモデル事務所から招待したモデルも出るのよ」二人の会話は、仕事の愚痴とプライベート話で盛り上がり、お酒も飲みまくった。特に翠は泥酔状態になるまで飲んでいた。
「翠、そんなになるまで飲んで大丈夫なの?」
「大丈夫よ~あたしアルコールめっちゃ強いよ~」
(うえっ…気持ち悪い…今にも吐きそう…あたしって自制心ないもん)
「そう見えないな。呂律回ってないし足元もふらついてるし。私がタクシーで連れて帰ろうか?」
「いいって。タクシー呼ばなくったって。あ、もう店閉まる時間。終電間に合うかなあ~」翠はぼんやりしながら店の時計を見た。
「もうお店出よっか」二人は飲み過ぎて足元がふらつきながらなんとか終電に間に合った。それぞれ帰宅した頃は日付が変わっていた。そして眠りについた。
(つづく)