私は某宗教団体の会員です。
入信したのは6歳、約50年前、物心ついたころには(たぶん小学校高学年)には少年部の会合に参加していました。
中等部・高等部になっても、積極的に参加することもあれば先輩部員に誘われて参加したことがありました。
女子部になっても、教学試験の挑戦・初登山・文化祭参加など活動も本格化し、中でも○○寺の登山は先輩部員との楽しい思い出となりました。ただ雨天だったのが残念でしたが…夜中の”丑寅勤行”は眠くて辛かったが、勤行の後はモヤっとしていた気持ちがスッキリ洗われてリフレッシュできました。それが私にとって”○○○○員”のピークだったと思います。
そして婦人部となり、三人の子宝に恵まれ幸せな家庭を築いていこう!座談会にも幼子を連れて参加、子供たちも張りきっていました。
しかし、家族関係はあまりよくなく同居の姑としょっちゅういがみ合い、それを見ていた子供たちも姑の味方をして肩身の狭い私は子供を連れて実家に帰ることばかり考えていました。たまに実家に帰ると両親は気持ちよく迎えてくれました。両親はすでに他界しましたが10年経っても感謝しています。
その後、姑の他界、そして”非活”のきっかけとなった10年前の二人の我が子の相次ぐ急逝。それには私も夫も兄弟で唯一残った長女はすごくショックで、夫は愛する我が子を亡くしてから活動をすっかりやめてしまい、私はしばらく活動を続けていましたが、結局”非活”になりました。信心しようがしないが関係ない。信心をやめたら罰が当たるとか、そんなことは全然ない。信心しなくても幸せな人はたくさんいる。信心しても不幸になる、と。
そして一昨年の夫の急逝。前日まで仕事をし、亡くなる当日も次の仕事の予定となる現場の下見をして、そこで休憩をとり自分の車に戻る途中で倒れたとのこと。そばにいた仕事仲間は慌てて救急車を呼び、外出していた私は家に帰ると電話がかかってきて「旦那さんが倒れた。救急車を呼んだ、15分くらいに着く」私は「どこの病院ですか?すぐに行きます」と。
娘、夫の兄弟に連絡をして、しばらくして病院に到着。夫は心臓マッサージを受けていました。医師は「心肺停止になってます。回復しても寝たきり状態でしょう」マッサージの甲斐なく病院到着してから約一時間後、夫は息を引き取りました。その表情は優しさにあふれ幸せそうでした。先立たれた二人の我が子も喜んでるでしょう。
さて、私は”非活”になったにもかかわらず新聞配達は今でも続けています。(ちなみにうちは新聞を取るのを止めています。以前は新聞をはじめ書籍など取ってました)その新聞配達も来年には外部委託になります。配達員不足と高齢化が原因です。マイカー配達ですが配達「手数料」よりガソリン代がかかるのでホッとしています。
30年前に「破門」されてから迷走しているように思います。やはりそれまでがピークだったのかと。会員も後継者不足と高齢化、我が支部も3つの地区から1地区に縮小され、かつての活気がありません。
あと、毎年末に「財務」をしますが、夫や姑は5~10万、私はせいぜい2,3万。さらに凄いのは三桁(何百万)の財務をしたと会合で嬉しそうに報告、会場の参加者も万雷の拍手、私は「すごーい。でも自分は無理だな」と。そのお金を「寄付」するほど生活に余裕があるのだろうか?それで幸せになれるのだろうか?財務をケチると「福運」や「功徳」が消える、とかせっかく稼いだお金が想定外の出費に消えたりと、でも財務やってた頃もお金はザルのごとく消えてましたね。
”非活”になっても活動してた頃と特に何も変わりません。
コロナ騒動も4年目になろうとしています。どうか収束してかつての日常が戻れますように。