やがて紀子はあひる荘に戻り、すっかり無気力となっていた
(私から歌を取ってしまえば何もない…借金とともにこのまま消え去りたい…)
彼女の周りに重苦しい空気が漂っていた
自室にある酒をすべて飲み干し、睡眠薬も飲み、深い眠りについた
(どうかこのまま目が醒めないように…)
あれから数日経ち、
「大変です!白旗さんの様子が…何日も郵便物が溜まってて…」
住人のさゆりが皆に呼びかけた
(鍵がかかってる…よーし、こうなったら無理やりでも…)
その時、管理人の知加子がやってきて、
「私にまかせてください」
と、持っていた合鍵で開けた
部屋には、一升酒の空きビンやビールの空き缶があちこち転がっていた
また、睡眠薬を飲んだ後のゴミも散らばっていた
(まだ心臓が動いてるから大丈夫みたいね)
数分後、紀子は奇跡的に目を覚ました
「ん…あれ?私何してたんだ…?」
「白旗さん、よかった~無事でいられて」
「なんで助けてくれたのよ…余計なことして…」
「何いってるの。みんな心配してたのよ。病院に連れていきましょうか?」
「ほっといてよ!さっさと帰って!私なんかいなくたって…」
紀子は知加子を追い出した
彼女はスッと立ち上がったが、足元がふらついて上手く立つことができない
その場でばたりと倒れた
(歌手、芸能界を甘く見てたんだ…私には生きる希望はこれっぽっちもなくなったんだ…)
普段は強気な態度を見せる紀子だが、このときばかりはさすがに泣きじゃくった
そこにユーコがやってきた
「のんちゃん、大丈夫?顔色悪いから、病院に行った方が…」
「行かなくても大丈夫よ。つい飲みすぎただけだから。私このまま逝きたかった…」
「そんなこと言わないで…私、心配で心配で。のんちゃん音信不通になってたから…」
「ありがとう、ユーコ…あんただけが生きがいよ…」
紀子は嬉しさのあまり、涙が止まらず、
「私もよ。もう泣かないで…私まで悲しくなっちゃう」
「ごめんよ…」
そして涙を拭った
「ちょっと話があって来たんだけど、私と一緒にアメリカ行かない?」
「え?なんで?いきなり」
「旦那さんに会えるよ」
「そりゃそうだけど、私英語喋れないし…でも旦那のいるところ日本人多いから不自由しないって」
「英語なら、現地に居れば自然と話せるようになるよ。私も会いたい人がいるの。子供の時に離ればなれになったパパに」
ユーコは幼い頃に父と一緒に写っていた写真をお守りのように持ち歩いていた
それをバッグから取りだし、紀子に見せた
「大事に持ってるんだね。パパが忘れられないんだ。ユーコって、パパ似だね、目元とか顔の輪郭とか」
「パパはね、娘が私しかいないから、時々私のこと思い出してくれてるみたい。だから私も忘れられないの」
「連絡取り合ってるんだ、今でも」
「うん」
「ママはどうするの?」
「ママは英会話教室の先生やってるから、そこから離れられないの」
「いずれ私ら、アパート出なきゃならないからね。ここに居られるのも長くないと思う」
「そうよね、私も早く出たいよ。こんな寂れたアパート」
二人はアメリカに渡る決心をした
数日後、紀子の郵便受けには雪美から手紙が届いていた
(ん?大福から手紙?ひょっとして…)
【こんにちは。ご無沙汰しています。
BICKSの中原です。
突然辞められて残念でなりません。
さて、私事で恐縮ですが、近日中に社長を辞任、退職することになりました。】
(まさか、こないだの責任をとるのに辞めちゃうのか?辞めちゃったら事務所は誰が引き継ぐのだ?大福、次の仕事探すのかね?)
【それから、申し遅れましたが、ギャラの件でお伝えできなかったことをお許しください。
"AAPA"出演と発表会の分が入りましたので、お手数ですがご来所してくださるようお願いいたします。】
(ありがとう~大福!覚えてたんだ…)
【以前私から借りたのと、機材の弁償代は差し引いておきます。
今後の人生が幸多き日々でありますよう、お祈りいたします。
BICKS 中原雪美
ps. なお、BICKS次期社長は森川摂子が就く予定です。】
(なに~摂子が社長だと~事務所潰れるわ、こりゃ)
(続く)