(腹減ったな~)
紀子は腹ごしらえをするため、あひる荘近くのラーメン屋「三風堂」に行った
この店はACBテレビ"ウラミツラミシュラン"で紹介されていた名店である

(人気店だけあってすごい行列…)

ちょうど夕食の時間になっていたのもあり、店には行列を作っていた

(あと一時間も待たなきゃなんないの?他のラーメン屋行こうか…でもここの味噌ラーメンめっちゃ美味しいのよね)

味噌ラーメンは「三風堂」の看板メニュー、ほとんどの客がそれを注文する
また、それ目当てに遠方から食べに来る人もいる
(テレビの影響すごいわ)

しばらく待っていたら、店員の案内によって席に着いた
(テーブル席かよ…カウンターならよかったのに…)

「すみませーん、オムライス…いや味噌ラーメン一つ!」
と注文したら、周りの表情は凍りついた

(あのババア、オムライス頼んじゃって、バカかよ)
とはいえ、実はオムライス、「三風堂」のまかないとして出されているらしい

数分後、ラーメンが紀子のいるテーブルに運ばれると、
(ん~、美味い!やっぱサイコー!至福のときだわ~なんていうか、プチ贅沢!)

そして、スープの一滴残さず飲み干していた
(麺はモチモチこしがあってスープとの相性もバッチリなのね。スープは案外しつこくなくて、後味もさっぱりしてる。あと、ここの兄ちゃんタイプだわ~本当はカウンターに座りたかった。残念!)

紀子の目はアルバイトの青年に向けていた
彼女が「三風堂」に来る目当てはラーメンだけじゃなかった
(彼女いるのかな~いたら私が許さないから!)

実はこの青年もあひる荘の住人で、最近住み始めたばかりだという
厨房から時々聞こえてくる会話で「土屋」と呼ばれているのを耳にしていたそうだ

「ごちそうさま~また来るね~」
この日は疲れきったのか、自室に戻ったとたん、すぐに眠りについた

翌朝ー
「あー、よく寝た寝た!今日も頑張るぞ~アアーアー…」
(あれ?声が出ない…昨日はそうでもなかったのに…なんで…どうしよう…デビュー無理かも…これはまずい…でも無理してレッスンしなきゃ…最終まで間に合わない…)

紀子は起床後、ボイストレーニングを始めたが、それまでのハードなレッスンや自室での練習を欠かさなかったため、声が出なくなっていた
(喉やられたかも…今日は休もうか…いや、休んだら他の二人に遅れをとっちゃう)

彼女にだんだんと焦りと不安を感じるようになっていた
結局、レッスンを受けにBICKSのスタジオに行った
「おはようございます」

「ど…どうしたのですか、白旗さん、声がガラガラじゃないですか」

「いや、休んだら遅れてしまうので」

「無理しなくても大丈夫ですよ、そんなに焦らなくても。まだ最終まで日にちがありますから」

「で…でも、休んだら他の二人が先にデビューしそうで、それがすごく嫌ですから」

「あら、負けず嫌いなんですね。急いだところでかえって悪くなってはいけませんから。たぶん先生も休めって言うと思いますよ」

そうしているうちに、先日二次通過した二人がやってきた
「おはようございます!」

二人とも若いだけあって、威勢がよく声に張りがある

(それに比べ、自分は…)
紀子は追い詰められていた

「もうじき先生が来られます。あ、今回より個別のレッスンとなります。場所は奥のレッスン室で行います」
(へぇー、マンツーマンなんだ)

まもなく有馬が来られ、個別にレッスンを始めた
紀子は二番目だ
(やっぱ声が思うように出せない…さすがに無理だな…)

「そこのオバサン!」

(はっ!)
彼女に声をかけたのは、乙部堅太だった
彼はミュージカル俳優を目指している二十歳そこそこの若者だ

「声出ないって言ってるのに、なんでレッスンに来たんだよ」

「あんたに言われなくないわ。若造のくせに生意気言うんじゃねーよ」
と、紀子は半ギレになった

(ここでぶん殴ってしまったらおしまいだ…ガマンガマン…)
乙部はグッと怒りを抑えていた

そして紀子の出番が来た
「先生よろしくお願いします」
枯れた声で挨拶すると、

「どうしたんだ、その声。風邪でもひいたのか?こんなのでレッスン受けるのか?」

「はい…休んだら他の二人に…」

「とりあえず今日は休むことだな。最終まで時間はまだあるんだぞ。しっかり治してくれたまえ」

「はい…わかりました…」
彼女は肩を落とし、結局その後レッスンを休んだ



(続く)