今回のブロック記事
『終の棲家を求めて』のテーマについて
伯母のことではなく
実家の事を重きに、書き上げました

伯母の件は、まだ伯母から詳細を聞かないと
先に進めることが困難なのと、
区役所の市民福祉課に、依頼して相談に乗って頂けるように
なったので、伯母からの電話も、市民課からの連絡も
無いので、それはそれで上手く行っているのかなと
判断しているからです

また、まとまった休みが取れた時に
伯母の家を訪ねて、じっくり話を聞いて来たいと
考えております

私が、実家の家族が
如何にして現在の『終の棲家』となるであろう居場所に
辿り着いたのか

完全に完結する事は、出来ませんでしたが
それまでのプロセスを、途中までまとめて書いてみましたので
よろしければ、読んでやってくださいね
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今現在、私の身内(生家)は
母親と、妹、弟の三人がおります
ウンウン

その3人は、生まれ故郷の名古屋で
現在では、やっと落ち着いて暮らせる場所を手に入れて
別々の場所で、それぞれに暮らしております

そこへ至るまでには、
決して平坦な道のりでは無く

長い年月と、労力が必要でしたふー


何度も書いておりますが
私の家族は、私以外の残った全員が、精神障害を疾患しており
母と弟は、障害者手帳3級の認定者でもあります

病名は、統合失調症


父は、そんな家族の犠牲者と言っても言い程の
最後を遂げました
実父が亡くなったのが、平成12年8月17日の事です


父が亡くなり
そこから、家族再生に向けての

私の戦いが始まりましたブル



一度に色んなことを、進めることが出来ないので
一つずつ時間を掛けて、解決をしてきましたshoko
初めは、私一人だけの
孤独な戦いの幕開けでした


その後は、徐々にいろんな方の協力を得ながら
現在まで、たどり着くことが出来ました

そのまま放って置いたら、家族全員がダメになってしまうのが
目に見えていました

父は自分の最後が近い事を、感じていたのでしょう
最後にあった時に、父が私に託した思い
『俺に何かあったら、お前が何とかしてやってくれ
頼りになるのはお前だけしかいないから・・・・』
そうボソッと寂しそうに、そして願うように呟いたのでした


それから間もなくして、父の危篤の知らせが
家族からではなく、隣の家から入ったのでした
壮絶な死に方でした

その事は、また別機会に
いつか書ければいいなぁと思っていますが
ここでは、省かせて頂きますはい


私が、何とかしなければ・・・・
ただその思いだけで
突っ走った年月でした
それは、とてつもなく困難で何度も断念しそうになりながらも
諦めることが出来ず
戦い続けた日々の幕開けです