長々と5回に渡り
息子の制作展の様子を
ご紹介させて頂きました
皆さんに「立派な息子」と
お褒めのお言葉も
沢山頂き、ありがとうございます
そんな彼ですが
今までに色々問題を起こし
悩まされても来ました
実は、2月24日に
彼の後始末をするために
有休をいただきました
8月に起こした事件の件で
家庭裁判所から審判を
受けてきたのです
事件の内容については
伏せてさせていただきます
m(_ _ )m
審議の結果は
お母さんの指導もある
と言う配慮から
『処分なしです』
と裁判官より申し渡されました
息子は、お姉ちゃんとは真逆で
とても大人しい性格をしています
娘はひとりでも
5人分ぐらいのパワーを
持つ元気の塊のような娘です
女の子なのに
レンジャー者が大好きで
超・超ーーーー暴れん坊
その反動なのか
息子と言えば
ちょっと危ない方向へ
行くのではと心配するほど
「おままごと」や「お人形」が
大好きな男の子でした
保育園時代のお友達は
姉は男の子ばかり・・・
息子は女の子ばかり・・・
冗談で
『お姉ちゃんがお腹の中に
忘れてきた○○○を
息子が付け手来たね』
と話していました
小さい頃から彼は
とても優しい出来た男の子でした
ふたりの性格を物語る
わかりやすいエピソードがこちら
あるイベント会場で
真夏の日照りの中
長蛇の列に30分以上も並び
やっと手に入れた綿飴を
娘が地面に落として
『また買う~ぅ』と
駄々をこね大泣きしました
するとまだ3歳だった息子が
自分の持っていた
まだ手を付けていない綿飴を
『はいこれいいよ
あげる』と
惜しげもなく姉に差し出すのです
すると娘は
『えっいいの
ありがとう
』とご機嫌は、すっかり治り
息子に分けることもせず
自分ひとりで全部
食べてしまいました
それでも息子は
何も言わず満足気☺
たった3歳でですよ
( ´・-・ノ(´._.`)ヨシヨシ
お手伝いも良く出来た子で
お風呂洗いも大好きで
保育園の頃から喜んでやってくれ
小学校1年の頃には
学校から帰って来て
台所に洗い物があれば
何も言わなくても
洗って拭いて棚に片付けるまで
黙ってても、やってくれました
学校から戻ると
黙っていても自分で宿題を
やってから遊びに行き
夜寝る前には
次の日の時間割を揃え
翌日着る服を枕元にきちんと
用意してから寝る
本当に手の掛からない
子供でした
家庭の中が本当に
問題が多かったので
ゆうゆは寝込む事が
よくありました
そんな時は、内緒で
千羽鶴を折ってくれました
本当に心優しい子なんです
小学一年から空手を始め
6年には黒帯を取るまでになり
全国大会にも出場しました
中学からはバレーボールを始め
練習は想像を超えるほど厳しく
子供も親も大変でした
厳しいからか❓
部員人数も少なく
親も毎日ボール拾いに体育館に
深夜まで通わねばならず
仕事が終わるとバタバタと
食事の支度だけをして
体育館へ駆けつける
練習が終わり家に帰るのは
12時を過ぎることも
多くありました
そこから、食事や後片付けをし
お風呂に入ると
毎日、寝るのは
深夜2時ごろでした
朝も当然、早も練習の為
早く起きねばならず
3時起きもざらで
1日の睡眠時間が
無い時もありました
更に、仕事をしながらの
サポートは壮絶そのものでした
休みの日は全て
練習や練習試合・試合でつぶれ
試合があった後も
体育館へ直行して
練習もしくは反省会
家に帰れるのは
遠方まで試合に出掛けたのにも
関わらず
日が変わる事もありました
冬は、極寒の体育館で練習
球技と言うことと
時間外練習と言うことで
暖房は一切なし
監督の機嫌1つで
お説教が長引く時には
子供達は長時間
半袖半ズボンのまま
直立不動で聞かねばならず
唇が紫色で震えていました
夏も屋内ですが
空気が籠もっているので
いつも熱中症の一歩手前です
早い子は保育園からの
ベテランもいるメンバーの中で
中学から始めたにも関わらず
息子は身長もあったため
中学から始めたのにも関わらず
一年のうちからレギュラーとして 使ってもらえて
ポジションも花形のアタッカー
となりました
「JOC(ジャパンオリンピック協会)」
のジュニア強化メンバー候補に
選ばれる事も度々ありました
早い段階で落とされますがwww
少しは親の苦労も
報われたと言うものです☺
今でも時々バレーを
楽しんでるようで
高校時代は学校の球技大会では
花形になれるらしいです
(*¯罒¯*)ニヒー
しかし
家庭内はいつも
波瀾に飛んでいたので
彼も心を痛めることが
多かったと思います
彼が高校一年の終わりに
元旦那の暴力に
耐えられなかったのと
暴力の連鎖を断ち切るために
悩んだ挙句
ゆうゆは家を出ました
その後一年間
離れて暮らし
元旦那に居場所を
特定されないように
子供達とも誰とも
連絡すら取れない
日々が続きました
調停と裁判の結果
一年間で離婚が成立
息子は16歳を迎えていたので
自分の身の振り方は
彼に委ねられられました
いずれ必ず一緒に暮らせると
信じていましたから
高校卒業するまでは
通っているままの方が
良いと考えていましたが
彼の判断は
高校3年生になる大切な時期に
転入してまでも
ゆうゆと暮らす事を
選択してくれたのです
父親に居場所を
特定されないようにするために
ありとあらゆる手を尽くしました
通学中の学校の担任
編入先の学校、弁護士、
引越し業者と連携をして
改めて編入試験を受けました
無事に合格が出来
引っ越しを完工することが
出来ました
高校3年からの編入
余程の事情がない限り
選ばない選択肢
知り合いの誰も居ない
新転地での生活
大きな生活の変化
割り切れない思いなどが
彼を苦しめていた
のかもしれません
もともと持っていた
息子の心の弱さに
元旦那に気を取られ過ぎて
ゆうゆが気が
付けなかっただけなのか
この2年間で
警察に補導される事3回
学校から呼び出しを受けて
校長先生直々に
申し渡しを受ける事4回
家庭裁判所へ出向く事3回
さすがのゆうゆも堪えました
従姉妹には
『元旦那に言った方が
良いんちゃうの
自分ひとりで
背負い込む事無やろう
あっちかて親なんやから
一緒に悩ませたれ』
と言われました
良い効果が得られるのなら
そうしたかもしれませんが
逆にリスクしかないので
周囲からは厳しい事も
言われましたが
気にしないように努めました
誰に何と言われようが
大丈夫何とかなる
と
息子を信じ
自分を信じました
現在は元旦那元に
時々遊びに行っているようです
どんな父親であれ
彼にはたった一人の人
会う事を制限する権利は
ゆうゆには、ありません
彼の中では
ゆうゆが家を飛びした時のまま
時間が止まってしまって
いるのだろうと思います
そうやって行き来する事により
時間をかけて自分のと折り合いを
付けていけばいい
そうやって
息子の止まってしまった
針を少しづつ
進めて行けば良いと
そう、ゆうゆは思います
彼の起こした出来事は
一見とても悪い事のように
思えますが
そういった問題にもきちんと
向き合う事で
その事を通じて、より分かり合え
今まで以上に良い関係を
築けたように思います
『ピンチはチャンス』
人生には神様のいたずらのように
思える悪い出来事がある
それを
受け止め方1つで
結果的に良い効果を
もたらしてくれ
幸せへと導いてくれるのです
決して諦めない
投げ出さない
腐らない
『信じるものは救われる』
そして
『親は子供によって育てられる』
子供の問題に向き合う事で
親も成長して行くんだと
そう実感しています
親年齢は子年齢と言われるのは
そいういうのを指して
言うのでしょう
最近の彼は
今の学校に入って
遣り甲斐を見出している
ように感じています
叶えたい夢
守りたいもの
そういったものが
出来ればもう安心です
これからの彼はきっと
夢に向って歩いて
いってくれる事でしょう
日頃の生活の中では
なかなか見えない彼の姿を
制作展を通じてみる事が
出来たことは
ゆうゆにとっても
大収穫でした
そういった意味も含めて
感慨深い制作展でした