コロナ拡大が心配される中
志村けんさんがお亡くなりになられましたね。
mamaさん、テレビでニュース速報が出る度にドキドキしていました。
今でもにわかに信じられません。
mamaさんが子供の頃って
テレビの所有権はほぼ父が握っていて、、、
会社から父が帰宅すると父は「ランニングとステテコ」姿で
扇風機に手には団扇というのがお約束。
そして、テレビはほとんど「プロレス」か「野球」中継だった気がします。
「8時だよ、全員集合~」も毎週かかさず、、という感じではなかったような、、
それでも志村けんさんといえば、、、
「東むらや~ま~、庭さ~きゃ多摩湖~」ってね🎵
知ってる方少そう、、、、
実はmamaさん
生まれたのは東京都北区というところだったのですが
(好きな写真なのです)
十条というところのアパートだそう。
叱られてベソかいてる?
mamaさんにもこんな時代があったのね~
その後、、
小学校に上がるまでは「東村山」に住んでいたんです
何丁目かは忘れちゃいましたけど
しぇー。流行ってたようですね。
後ろが当時住んでいた団地です。
2棟ほど建っていた団地の一番奥の一階。
こうしてみると、泥棒が入りやすそうなつくりですよね。
実際、母はよく下着を盗まれていたとか
ボケていますがこの緑のカーディガン。
たぶん、母のお気に入りだった気がします。
ビーズで葉っぱの刺繍が施してあるもの。
なつかしい。最近のことは今日のお昼ご飯すら忘れちゃうけど
こういう子供の頃の記憶って残ってますね
1人、アイスバーを持っているのがmamaさんで
上の列でそのアイスを見ているのが
「しょー坊」と呼ばれていた子。
今時いないけど、この子はいっつも鼻水が出てて、、、可愛いなぁ。
この子のことしか覚えてない
志村けんさんの「東むらや~ま~」という歌は
たぶん、もっと後かな。
その後小一の途中に藤沢に引っ越ししちゃったんですね。
この団地の隣にはいわゆる「原っぱ」があって
コスモスやススキがたくさん生えてて、、、
みんなで「秘密基地」を作って遊んだりしてました。
今のようにテレビゲームとか全然ない頃だから、
ランドセルを玄関に置いて、外に遊びに行ってましたね。
この頃の夏って、「夕立」がしっかりあって、、
夕食の前くらいになると、空が暗くなってきて、、、
大粒の雨が「ぽつり、ぽつり」と落ちてくると
何とも言えない、土のにおいが立ってくるんです。
若い方はわからないでしょうね。この匂い。
で、わーーーっと一気に雨が降り出して、、、、
みんな家に戻るという、、。
母は慌てて洗濯物を取り込む、、
で、時に、隣近所から
「〇〇さーん、雨よ~」なんて声をかけてくれてたっけ。
なんなら、替わりに取り込んでくれてることもありました。
よき時代です。
話がどんどん東村山時代のmamaさんの話になってしまいました。
志村けんさんは麻布十番を起点に夜な夜な遊ばれてましたからね。
夜中に行動しない我が家にとっては志村けんさんは幻。
そうそう、小学生の時、まだ授業が終わってない時間だったのに
隣のクラスの子が廊下で
「か~らぁす~、なぜ鳴くの~、カラスの勝手でしょう~」って大声で歌って、、
大爆笑した思い出も。
まだまだ、笑わせてもらいたかったな~
パン君やプリンちゃんも逢いたいだろうな。
たくさんの笑顔をありがとうございました。
コロナは今度は若い方を中心に拡大中ですね。
もっと自覚してほしいです
自分が知らない間に感染してて誰かに移すかもしれない!!と思って
行動するようにしたいものですね。
うがい、手洗いは基本ですが
「笑顔」はもっと大事